■■そういう仕事をしているか■■
2016/06/11
「強烈な不幸に充分に傷つき、それを執拗に記憶して、年月の光に当てるのが作家の仕事である。
その時不幸はもう生ではなくなり、そこに発酵が行われている。」
曽野綾子の『自分の顔 相手の顔』を久しぶりに読み返した。
そしてこの文章にたちどまった。
そういう仕事を私はしているか、と自問した。
自覚的にしているときもあるし、無自覚なときだってある。
充分に傷つくということだって、たぶん、知っている。
ただ、誰かに傷つけられた、という意識はない。
自分が傷を負った、という事実だけがある。
そして身体にそれが反映される。
私の場合、発酵が行われるまで最低10年はかかるみたい。
ということは今の傷がなんらかの形で表現されるとしたら、10年後。なんて簡単に言ってはみても、これ命がけ。
さいきん、いろんなことにひっかかる、つまづく。
一度は理屈をつくってクリアしたはずの必殺「クリスマス」。
このイベントも、今年はひっかかってしかたがない。
クリスマスは何の日?
あなたがそれをお祝いする理由は?
とみんなにインタビューしてまわりたいくらい。
これ、怒りに近い感覚かな。
でもそんなことはしない。
徒労に終わるから。
けれど、自分の芯にはしっかりとこの怒りに似た感覚を記憶しておく。それが私には重要なことだから。
ただ、周囲の愛しい人たちが、このイベントで心華やぐひとときを過ごせるなら、それでいいじゃない、と思えるようにもなった。
自分の考えをおしつけることと、自分の芯にその考えを記憶しておくことは違うから。