ブログ「言葉美術館」

■■自分をさらけ出すこと■■

2016/06/11

B__言葉を書きつけているノートからジャン・マレーの言葉をみつけた。

もしかしたら以前にここで紹介してるかも。

真実の中にしか幸福は見出せない。自分をさらけ出すこと、それが他の人の助けになりうるのだ。」

この言葉に、私は大きくうなずく。

ただし、どのようにさらけ出すのか、それが問題。

自分自身のなかに大きくても小さくてもとにかく芸術家みたいなのが住んでいたなら、その「作品」を通して自分をさらけ出さなくてはならない。そう思う。

そこが、なにかとても重要な、境界線のような気がする。

***

……そんなことをこの半年くらいの間、強く感じていたのでした。


もともと自分自身の日常を不特定多数の人にさらけだすことに快感を覚えることはなく、むしろ「秘」に快感、なので、私にとってさらけ出し方は重要な問題だったのです。

いろいろなご好意で、フェイスブック、ツイッターといった、世の中の人たちが利用しているものを始めてみたのは、冒険でした。


けれど結果的に、やはり私には居心地が悪いことがよくわかったのは、良いことでした。

私のことを少し気にしてくださっている方々のなかには、いよいよ死んだのではないか、とか会社とトラブルがあったに違いない、あのひと性格悪いから、とか色々な憶測がとんだようですけれども、トラブルはありません。


というか、私は誰かとトラブル、という状況がいかなる状況なのかよくわからないのです。


好き嫌い、やめるやめない、支えてあげたい支えてあげたくない、応援したいしたくない、

そういうのしかないと思っているからです。


写真は、モナリザのかっこうをした、ベティちゃん。とっても気に入っている絵で、私を応援してくれているミカちゃんがフェイスブックを運営してくれることになったとき、そのキャラクターとして、「モナミカベティ」ちゃんをつくったのでした。

モナミカベティちゃんも、実は私と似ている部分があるので、かなり苛酷な作業だったのでは、と推測しています。


そして私のよき理解者でもあるので、私がフェイスブック、ツイッター等に関する想いを伝えたときも、うんうん、とうなずいて(これ彼女のくせなの)オッケーしてくれました。

「でもね、すごい思い出でもあるから、全部、プリントアウトしておいてね」と頼んだ私。どうしても「紙」じゃないと安心できないし、思い出感もないから。

そんなわけで、たいへん遅くなりましたが、みなさまに、「フェイスブック、ツイッターはおしまい」に関するお知らせでした。

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