■■須賀敦子に接する■■
2016/06/10
「教会を出ると、雨はほとんどやんでいた。
ぽっと明るみのもどった歩道に下りたときはじめて、私は、たったいま、深いところでたましいを揺りうごかすような作品に出会ってきたという、稀な感動にひたっている自分に気づいた。しばらく忘れていた、ほんものに接したときの、あの確かな感触だった。」
カラヴァッジオについての原稿を書いていて、須賀敦子を思い出した。
彼女がカラヴァッジオの「手」についてどこかで書いていたな。
書棚を探して見つけた。『トリエステの坂道』に収録されている『ふるえる手』というタイトルのエッセイに、それはあった。
よみふけってしまった。
ほんものの文学に接して、自分を律した。
ぜんぜんだめだ私。
自分だけはごまかせないんだから。
須賀敦子にふれて、思った。
どんな環境にあっても、そこからだけはそれちゃだめ。
言葉への想いを、すこしでもおろそかにする人間に文学を口にする資格はない。
たよりない色のカーネーションがきれいに見えて、買って帰ったのは先週の火曜日。たよりなさはそのままに、それでもまだ咲いている。