■■こどもになりたい■■
2016/06/09
おとなであることを要求される場面が続いたような気してきて、ひとつひとつ思い浮かべていたらとても疲れた。
なので『仏の発見』を読む。
なんとなく寛容なものがそこにあるような気がして。
五木寛之と梅原猛の対談という、名前だけで、何かを得たような気分になれる本。
たぶん私、一割も理解できていないだろうけど、でも一割あるなら、じゅうぶんでしょうとも思う。
それで、今回は仏とは直接関係ない部分に、ラインを引いた。
「やっぱり創造者というのは、年をとっても子供の魂を持っている人だと思いましたね。」
お二人はそんなことを話し、例として、岡本太郎と湯川秀樹をあげている。
この例は偉大すぎて、自分のことに引き寄せられないのが悲しいところだけれど、こういう文章を読むと、しょんぼりしてしまう。
わたしときたらめちゃくちゃハンパだなあ。
おとなの女は、周囲から好まれ、信頼され、愛される。
おとなの女は東京オリンピックを肯定的にとらえる。
嫌な想いをしていても笑顔を崩さない。
あの人嫌い、とかすぐに言わない。
それをするくらいなら死を選ぶわっ、なんてことも口にしない。
そして、こどもになりたい、なんてつぶやいたりもしない。
都会も季節が変わろうとしているみたい。軽井沢みたいに、くっきりとはわからない、ぼんやりと感じる。