■■嬉しい風景と愛情という名の武器■■
2016/06/09
娘がいつも本を買う場所、そして私たちの待ち合わせの場所でもあるのが恵比寿アトレの有隣堂。
生活の一部ともなっているこの書店で、昨夕、待ち合わせをした。
娘がにこにことしながら「いいもの見せてあげる」と言って、私を案内してくれた先には、「恋に溺れて女になる」が4倍の大きさになって飾られていた。
ふたりで喜んだ。
他の書店で、こんな風に目立っていたという、そんな情報は優しい友人知人たちからときどきメールでいただくけれど、自分の目で見ることはあまりない。
私自身が出かけることがすくないという事情も大きいのだけれど。
でも、だからこそ、身近な書店でこんな風な風景に出会うと喜びもひとしお。娘もいつもの本屋さんに私のがこんな風に並んでいるのは、悪くない気分だろう、と勝手に想像して、苦手な母部門をこの種類の事柄がカヴァーしてくれたらいいな、と願う。
人には「できることとできないこと」が、「得意なことと不得意なこと」がある。
この真実を自分自身にあてはめることは、わりと簡単にできる。
けれど、これを愛する人たちにあてはめることの困難さは、いったい何なの。
こうであってほしいという想いが強すぎるからか。
でも、愛しすぎは愛していないのと同じこと。
愛情という名の武器をふりまわしてはいけない。