「名もなき人たちのテーブル」マイケル・オンダーチェ 田栗美奈子 訳■
2016/06/09
久しぶりに、ずっしりとした小説を読んだ。
「イングリッシュ・ペイシェント」で有名な作家の新刊。
ここのところ離れてしまっている世界に、本を読んでいる間だけでも戻れたようで、胸が熱い。
オーダーした本が手元に届いたとき、まず装丁の美しさに息をのんだ。潔い美しさとはこういうもののことを言う。
飾っておきたい本。
そして毎夜、少しずつ読み進めていたのだけれど、言葉が選び抜かれていて、内容ももちろん、そのことに感激した。
訳者の方は、言葉をとても大切にしている方だ。
そして大切にしていて、センスというものも持ち合わせている幸運な方だ。
帯にある文章を簡単にするとこんなふうになる。
11歳の少年の、故国からイギリスへの三週間の船旅、せつなくも美しい冒険譚。
いくつもの印象的な言葉があった。
「彼がそんなあれこれを覚えているのは、自分の考えをはっきりさせるためだったのではないかと思う。
カーディガンのボタンをきちんと留めて、自力で暖まろうとする人のように。」
「彼には、自分の求める生き方を選んだことによる穏やかさがあった。
そして、そんな穏やかさと確信は、本という鎧で身を守る人にだけ見られるものだった。」
「面白いこと、有意義なことは、たいてい、何の権力もない場所でひっそりと起こるものなのだ。」
「彼女の生きる世界の大部分は、本人の胸だけに秘められていた。」
「じかに関わらずに通りすぎていく、興味深い他人たちのおかげで、人生は豊かに広がっていくのだ。」
「ある作家が、“ややこしい魅力”を持つ人物について話していた。心の温かさと当てにならないところをあわせもつエミリーは、僕にとって常にそうした存在なのだ。人から信頼されるのに、本人は自分を信頼しない。善人なのに、自分ではそんなふうに思わない。そんな込み入った性質が、いまだにどうも釣りあわず、折りあいがつかないままだった」
「でも、失ったものを探すと、至るところに見つかるんだ。」
「訳者あとがき」にオンダーチェのインタビューが紹介されていた。
そのなかにまた、書きとめておきたい言葉が。
「フィクションではあっても、書き手はそこに紛れもなく自分のさまざまな面を見いだすものだ。マイケル少年は架空の人物だが、私自身の不安や願望を映し出しているのは間違いない。
フィクションの力は強くて、時には事実をしのぎさえするのだ」
私はこの言葉を今日、胸に大切にしまおうと思う。
読んでよかった。この本にめぐりあえたことに感謝をする。
私も、そう遠くない日に、事実よりも強いものを手がけたい。