■■休憩なしの舞台■■
2017/01/17
14歳女子が、言う。
「なんていい言葉なんだろう! 座右の銘にしよう!」
「なになに?」
「死ぬ気でがんばれ、死なないから」
「……」
「いい言葉でしょう」
「……それ、By山口路子?」
「ちがうよ」
「なんか自分が言うような気もするし、自分がけなすような気もする、そんな言葉だなあ」
そんなふうに言った後、こころのなかで(死ぬ気でがんばることも選ばないといけないよ)なんて、つぶやいてみる。
記憶が蘇る。『軽井沢夫人』を山口路子という名で出版することを決意したのちも、近親者のことを考えてうじうじする私に響いた言葉。
「命とられるわけでなし!」
なんか、同じような匂いがするな。そ
してパソコンから目をあげればそこには「定命」という言葉がある。
小さな紙に書いて貼ったのはいつだったろう。
じょうみょう、さだめられたいのち。
そのなかを精一杯生きたい、そう思ったときに貼ったような。
そういえば、14歳女子とこんな会話もした。
「人生は一度きりなんだよねえ」
「うん、そうだね、たぶん」
「一度きりだからね、どう生きるかだよね!」
「そうだよ、人生は一度きりの舞台! しかもどんなふうにどんな役柄を演じるのか、自分で決めることができる」
「うーん」
「あなたは、一幕?二幕?……私はもう休憩はさんで何幕かなあ?」
「休憩? 休憩っていつだったの?」
これを言われて考えた。
ちょっと出産と初期育児期が頭をよぎったけれど、けっしてそれは休憩などではなかった。
そうやって考えてみると、人生という舞台には休憩はないように思える。
そうか、だからこんなにたいへんなんだ。
そんなふうにぼんやり考えていたら、
「まだ舞台に登場していない!」という声が。
続けて「うん、まだ登場していない! ロビーでうろうろしているかんじかな!」
「そ、それは……控室にさえまだいないと?」
「うん!」
「……」
人生は舞台のようなものだと考えれば、可能性に満ちているように思えてすこし心愉しくなる。
一方で与えられた舞台の質、そして自分の能力というものもある。
……だからたぶんこういうこと。
与えられた環境、才能を最大限に活かすことが大切、ということ。
明日は『美男子美術館』のトークイベント。
このブログに「読みました、という声が聞こえてこない」と愚痴を書いたら、キュートなお友達から「読みました!」のメールが。嬉しい。
書いてみるものだわ。
そのお友達はこんなふうに言ってくれた。
「この本が面白いのは、路子目線が色濃く出ているからこそですね。
自分なりの見方でいいし、自分なりの感じ方で、想像力をたくましくするほうが絵画を見るのももっと面白いでしょ? ってことと、過去のすごい人たちを、自分の人生に取り込んじゃえば同じ人生がもっと楽しくなるでしょ? ってところですね」
……ありがとうっ。
明日はどんな時間を演出できるかな。
どんなお話を、どんな言葉を持ち帰ってもらえるかな。
みなさんの貴重な人生のひとときを、いただくのだから私、エナジーをそそぎます。