ブログ「言葉美術館」

■脱稿と風邪と家族と

 先週の木曜日に新刊「カトリーヌ・ドヌーヴの言葉」を脱稿して、その夜はタンゴを踊って、翌日風邪をひいてしまって、まだぬけない。周囲のひとたちは「休みなさいというサイン、休んでいいっていうサインなんだよ」と優しく言ってくれるけれど、次の本の企画を練らなくてはいけなくて、のんびり休んでもいられない。

 とはいえ、体がいうことをきいてくれないから、しかたなくぼんやり数日を過ごしていた。不調になると人恋しさが募るのは私だけとは思わないけれど、私はそれを、かなり強く感じる体質なので、ここ数日はいろんなことを考えた。現在の生活環境とか、ほんと、いろんなことを。

 でもね、ひとときより、というかいままでよりも、淋しさとか心細さは感じない。慣れてきたってことかも。諦観ね。それはそれでかなしいけれど。

 そんななか、娘のサークルの英語劇を観に行ってきた。彼女がどれほどこれに打ちこんでいるかは、身近にいて知っていたから、もうそれだけで胸がいっぱい。ほとんど徹夜で衣装を縫っていた姿などがうかんで、舞台を見ながら涙が出そうになってしまったくらい。

 終わったあと、観にきてくれた母と妹と弟とお茶をした。3人きょうだい、それぞれの伴侶も子どももいなくて母と一緒、ってほんとに珍しくて、新鮮で。父はいなかったけれど、私はこの環境で育ってきたんだなあ、なんてしみじみとしてしまった。

 3人きょうだい、それぞれの人生を歩んでいる。私は長女で、でも妹と弟にしてみれば、「わがままに身勝手に生きている困った姉」。それだって、私は私なりに妹と弟への愛があり、彼らが幸福な状況であることをつねに願っているのよ。

 お茶しながら、考えていたことは、家族ってなんだろう、ってこと。

 ねえ、家族ってなあに?

 血の繋がりじゃないね、愛だけでもないね。

 そして、次の本のこと。

 限られた時間、何を書くか。あれも、これも、書きたい。タンゴの小説はいま途中でとまってしまっている。無理に動かさない。きっと、その時期は来るから。いまは別のもの、別の書きたいことを書こうと思う。それでいいんだと思える。

-ブログ「言葉美術館」