■「暗い勝利」と「安易な感情」と
2020/12/27
「ある程度の年齢に達すると、人に対しては自分に都合のいい感情しか抱かなくなります。
相手の占める位置を、こちらが設定するようになります。
これは時間割の問題です。
恋人との生活の要求が、自分自身の生活とうまく噛み合うように生活設計をしている女友達がいます。
これが老いです。
感情のほうが、第二の本能である生活習慣に従うのです。
余裕の度合いによって、他人との関係を選ぶわけです。
暗い勝利です。
突発事を拒否することです。
(略)
だいたいは、五、六十歳くらいになると、人は安易な感情を選びます。
いまさら、傷ついたりしたくないからです。
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フランソワーズ・サガン、30代後半から50代の半ばのインタビューをまとめた『愛という名の孤独』から。
私のバイブルの一冊。なつかしく読み返した。
『サガンという生き方』の出版は2010年9月。
もうあれからそんなにときが経ったのか。
多くの箇所にラインが引かれている本だけれど、今回、私の胸をえぐるようにした箇所にはラインが引かれていなかった。
いまの年齢、ではなく「いま、たったいま」の私を見抜かれたかのようだった。
あたまにもやがずっと立ちこめているような、からだのそこかしこに重い砂がうめこまれているような、実際に立ち上がれなかったり、食べられなかったり、そんな状態が続いていて、日々の時間の過ごし方を見直していた。
仕事に集中できるわずかな時間を考えると、そのほかのことに使う気力体力をもう少し抑えなければならないのではないか。
そんなふうに。
だから慣れ親しんだはずの本のなかのこの箇所を「発見」したときは驚いた。
サガンはするどい。
私は、いつもなら優しく私を慰撫してくれるサガンに向かって、「でも、でも」と言っていた。
「でも、どうにもならないんだもの」
一方で私は知っている。
サガンもまた、自分の美意識、こうありたいという姿に向かって、「でも、でも」と言っていたことを。
こんなときもある。
からだがうまくいかないときもある。そして、もうじゅうぶんに慣れ親しんだ本から、こんなふうに胸をつよくうつ一文を発見するときもある。
いま、これを書きながら考える。
安易な感情を選ぶ、とはどういうことだろう。「いまさら、傷ついたりしたくないから」選ぶ、安易な感情とは。
期待に満ちて接するのではなくあらかじめ諦めるということ?
それとも、情熱ではなく情愛のなかでやすらぐということ?
冴えゼロ状態だから、気の利いた一文が思い浮かばない。
ただ、感覚的に、私にとっては安易な感情って「過剰」と正反対にある、そんな気がする。
*写真はカトリーヌ・ドヌーヴとサガン