■あたたかな腕に抱かれて静寂のタンゴを
2020/03/31
精神の脆弱さが嫌になる。
コロナウイルスの脅威、世界中で起こっている悲劇、我が国の政治家たちの姿。
こういう非常事態下で、あらわになってしまう人間性。
醜い人たちがいる。愚かな人たちがいる。無知な人たちがいる。けれど美しく強い人もまた、いるのだ。
私はなんとか美しく強く、と願いながらも、こんな調子。しっかりしてくれ私。
そんななか、ふと精神が潤うのは、本や映画での感動を味わうひととき。そして音楽もまた。
私がタンゴで踊りたい曲のひとつに「Invierno インヴィエルノ」がある。
これを言うと、意外だという反応をされることが多いけれど、そしてたしかに、私が「大好きっ」て叫びたいくらいの曲たちのなかでは、たしかに地味かもしれないけれど、この曲を聴くと瞬間、ノスタルジー。たまらなくなる。
原稿がなかなか進まないから、自分好みの超訳意訳を試みてみよう。
***
「Inviernoーー冬」
また、
冬がやってきた。
木々は霧氷をまとい、白い彫像のように、私をとり囲む。
愛のない私の人生。
孤独な人生。
孤独。
私はこんなに苦しく、怯えている。
冷たい風が私の魂を凍えさせ、
そして、
私は泣きたい。
そう、冷たい冬を連れてくるのは、木々に霧氷をまとわせるのは、
私の孤独な魂。
だから私は今日もまた、冷たい霧氷から逃れようがない。
***
軽井沢の2月、氷の季節を思い出す。
あたたかなリビングから庭の木々を眺めていたあの時間を。
早朝、ペレットストーブの炎がゆれるリビングのカーテンを開けると、青味を帯びた薄闇のなか、枝ばかりになった木々が仄白く浮かび上がっていて、その光景に、いつでも泣きそうになっていた。
氷の粒子を身にまとった細い木々の枝は、透きとおった毛細血管のようで、厳かな美しさがあった。
私は「Invierno」を踊るとき、あの風景と、白い彫像ときらめく霧氷と、孤独とを想う。
ああ。あたたかな腕に抱かれて、静寂のInviernoを踊りたい。
いまは踊れないからね、せめて目を閉じて、イメージするの。