■緊急事態5日目。筒井康隆と中田耕治、ふたりの男に恋い焦がれる
2020/04/14
緊急事態宣言が出されてから5日目。
昨夜のニュース、東京都の感染者数は197人、最高記録。とはいえ、検査を受けられた人の数だから、これのどのくらいの倍の数かいるのだろうと思うと暗澹たる気持ちになる。そしてこれからますます増えるのでしょう。
情報は入り乱れているけれど、海外の様子などを見ても、確実なのは、人との接触を減らすこと。
今日一日家にいたからといって、自分が感染を減らすために、いかほどのことをしたのかは目に見えない。
一方で、楽しみのために出かける人も多い。
損をしている、と思ってはいけない。思わない。もうこれは、私にとって自分なりの美意識になってくる。
自分と違う意識の人を責めるという気にもならない、私はもともとそういうのをもちあわせていない。嘆くだけだ。だめね、きっと、消極的なこういう態度は正しくないのかもしれないけれど、これが私なのだから、しょうがない。自分にできることをするだけ。
筒井康隆の短編『コレラ』を読んだ。
『革命のふたつの夜』に収録されている。
語り手は、カミュの『ペスト』を意識している。あれは創作なのにまったくオモシロクない、カミュのどこがすばらしい作家なのかぜんぜんわからん、とこきおろしながら、私は事実を書く、というスタイルで東京にコレラが蔓延し、恐慌に陥る様子をアイロニーとナンセンスにくるみながら描き出す。
私のカミュ様をけなされても、筒井康隆先生なら、ぜんぜん平気だもんね。
筒井先生には以前、大阪のテレビ番組でご一緒したことがある。
和装の先生はほんとうにダンディで誠実な方だった。収録に、当時中学生の娘を連れて行ったのだが、娘が愛読書のひとつ「時をかける少女」のファンであることを先生に伝え、サインをねだったら、一度それをご自宅にもちかえり、郵送してくださった。
すばらしく達筆なサインとすばらしい印に、ひれふしてしまいたくなったのを、よく覚えている。「時をかける少女」が映画化されたときに制作されたフィギュアも同封されていた。
ああいった、私などには想像もできないようなトンデモナイ物語を創作する作家本人は、人間味あふれる実直な人だった。人間性、知性、というものを考えずにはいられないような。
しかーし、『コレラ』、オススメです、とは言えない。私は2日くらい、食欲を失った。小説のもつ力、描写力に感嘆しながらも、読んだことを、後悔してしまった。いま思い出しても、おえ、となっちゃう。あの描写力……ほんとに……ああ。
先日、私が「天女」とあがめる翻訳家の田栗美奈子さんからメールをいただいた。敬愛する中田耕治先生がブログを再開したというお知らせだった。
3年間休止していた先生が!
きゃあ。
すぐにサイトを開いた。
中田先生の「いま」の声が聞こえてくる。目が熱くなる。先生はブログを再開するきっかけを「世界中に、バンデミックの恐怖が広がっているからである」と書く。
中田先生がこの時代をどのようにとらえているのか、読む喜びがひとつ増えた。
中田先生へ。がんがん更新してくださいね。こんなに待っている読者がここにいるんですから(ハートマークを舞い散らせたいくらい)。
一部、ご紹介しちゃいます。(全文読んでくださいね。上のリンクから)
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いまや、世界じゅうが、パンデミックという女神の脅威にさらされている。私たちの前に「恐怖」という女神が姿をあらわしている。
その運命の輻(や)は、女神がしっかりとにぎりしめて、無表情に、しかも冷酷無惨なまなざしで私たちを見据えている。
***
女神という言葉に、中田先生がこの事態をどのようにとらえているのか、空気感くらいは伝わってくる。
そうそう。
中田耕治先生はいつだったか、おっしゃっていた。
「筒井康隆はすごい作家だよ」
すごい作家がすごい作家という人……私はあらためて筒井康隆はすごいと思ったものだ。
……。すごい、が3回も。……語彙力なさすぎ。でもほんとにすごいと、すごい、しかなくなるのよ。
筒井康隆、1934年生まれ。
中田耕治、1927年生まれ。
こころから尊敬できる作家に会えたこと、指導まで受けられている幸福をかみしめ、私、書かなきゃ、って思う。
この状況下は、本を読み、ものをゆっくり考えるために私に与えられた、くらいに、たまには「ポジティブ」になってみたりして、それでも社会の状況から自分を精神的に隔離して閉ざしてしまうのではなく。
唯一、自分に課していること。
どんなに醜いと思うようなことでも、どんなに悲しいことでも、いま私が生きているこの時代を「よく見る」こと。