■緊急事態12日目。ひとり美と散歩と居場所
「サプリメントは売り上げは伸びている、コスメは逆」
そんなことを聞いて、サプリ人間、と言われている私は、サプリを否定しないけれど、コスメの売り上げが落ちていることに関しては、ノンノン、って反応してしまう。自戒をこめて。
誰にも逢わないときでも、ノーメークならノーメークならではの美、みたいなものにこだわらないと、ぶすになっちゃう。
軟禁生活に入って私は、いわゆる部屋着を変えた。いままでは外出用にしていたものを部屋着にしちゃうことにした。だってそうでもしないと、春の服が、日の目をみないで葬り去られちゃうから。
服を変えると、髪や顔やネイルなんかも、なんとかしないと、って気になる。
誰のためでもなく自分のために。それなりに整えてみた日とそうでない日は、しぐさまでが変わる気がする。タンゴシューズを履いて1日過ごすこともある。これは確実に動作が変わってくる。
今日は非日常を過ごした。家族とお散歩なるものをしてみたの。1時間歩いた。
歩きながら、あるフレーズがぐるぐる回っていた。
「絶えずひとつの単語が頭に浮かんで離れなかった、それは、居場所、という単語だった」
これ、サガンのある文章のある単語を「居場所」に置き換えたもの。
居場所、居場所、居場所。
私の居場所はどこ。
その流れで、以前、このブログにも書いたことのある、拙作を思い出した。
***
「あえかなくちびる」
あなたのあえかなくちびる
やわらかくうすく色づいて あいまいで
それをふくんだなら消えてしまいそうで
わたしはかなしくなる
それはあなたの まいごのたましい
わたしはあなたのくちびるに くちびるを 寄せる
まいごの あなたを わたしのくちびるに とどめるために
消えないために 消さないために
あなたに居場所を 教えるために
***
これ、ずいぶん前、軽井沢時代のもの。どんな状況で創ったのかは、ほんとうに忘れてしまった。
でも、「あなたに居場所を 教えるために」だなんて、ずいぶん力強くない?
いま、私は、これを創ったときの力強い私に向かって「私の居場所を教えてくださいな」と言いたい。
今日はとてもよいお天気で、東京のくせに、空はずっとあおいでいたくなるほどに、信じがたいほどに美しい青色で、遊歩道の緑や花々に私は、泣きそうになりながら歩いていた。なぜに、いちいち泣きそうになるんだ、と自分につっこみをいれながら。
「花がほんとうに綺麗、花、緑が恋しい」
「ガーデニングには興味ないでしょ?」
「軽井沢にいたころよりは、興味が出てきたかも」
「ふーん」
「軽井沢にみたいに何もしなくても、そこらじゅうにあれば、わざわざガーデニングなんてしないよ。でも、これだけ何もないところに暮らしていれば、緑や花が恋しくなって当然でしょう」
「軽井沢に戻れば?」
「いや、それはない。独りであの家に住んでいたら、おかしくなっちゃう」
そんな会話をしながら、立ち止まってiphoneで写真を撮る。マスクをしているから(陽焼け防止のため)、顔認証してくれなくて、暗証番号を押すから、すごく遅くなる。駆け足で追いついて、しばらくしてまた写真を撮る、みたいなお散歩だった。
今後のことについてあれこれと話す。話しながら、真の不安を打ち明けそうになって、言葉を飲みこむ。
それでも、「ぎりぎりのところで綱渡りしているような感覚が、このところ常にどこかにある。でもそれがわかっていて、決定的に足を踏み外す前に、危ない、って感知することができるようになっているだけ、私はずいぶん、良い状態なんだと思う」という言葉に嘘はない、はずだった。