■緊急事態下日記 ブログ「言葉美術館」

■緊急事態13日目。「逃避」のお知らせと「美しい牢獄」

 

 

 今日は一歩も外に出ず。あっという間に日付が変わろうとしている。

 国内感染20人超死亡 1日最多。

 というニュース。

 マスコミに流れるニュースは、ただ記録として残しておくだけ。

 信頼できるひとがあげてくれる情報に目を通し、いまこの時代に起こっていることを、自分の目で見ようと、私のできる範囲内で、そうしている。

 夕刻、大和書房の担当編集者の藤沢陽子さんからメール。

 「『逃避の名言集』がまたまた重版となりましたー」というご連絡。

 「こんな時期に……ありがとうございます」という一文に、私もこころでつぶやく。「ほんとうに、こんな時期に……ありがとうございます」。

 閉じている書店が多くて、ネットでももちろん購入はできるけれど、私の本は書店で見かけて買ってくれるひとが多いから、かなりのダメージ。「今年はどうやって生活をしてゆきましょうかねぇ」としょんぼりすることもしばしば。そんなところに届いた嬉しいお知らせだから喜びもひとしお。

 あんまり嬉しいものだから記念撮影をした。

 これ、「ありがとう」って、じーん、ってなっているポーズね。ひとりでしているの、不気味でしょ。

 

 『逃避の名言集』、もとになっているのは、ブログ記事。2006年6月から2013年2月ころまでの。

 軽井沢時代は2001年4月から2011年3月のぴったり10年間だから、この時期とほぼ重なる。

 2013年3月に出版された単行本の「あとがき」のラスト。

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 私は、私にとっての軽井沢を、大好きなアナイス・ニンの言葉を借りて「美しい牢獄」と呼んでいました。美しい牢獄に自ら入って、私は自らの内面と、ちょっと自虐的に、ちょっと深く向き合ってみたのだと思います。明るく健康的な作業ではなかったけれど、生き抜くために必要な作業であったのだと、それはあの場でなければだめだったのだと、いまは思っています。

 美しい牢獄でのあの日々に、本書を捧げます。

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 娘が7歳から14歳のころのかあ。

 東京に戻ってきてからは別としても、あのころ、自分のためだけに使える時間なんて、ほんとうに少なかった。

 創作と家庭で引き裂かれるような毎日だった。

 でも、私はその軽井沢時代に処女作『彼女はなぜ愛され、描かれたのか』からはじまって、『うっかり人生が過ぎてしまいそうなあなたへ』『いい男と出会えていないあなたへ』『軽井沢夫人』『女神 ミューズ』『ココ・シャネルという生き方』『サガンという生き方』を出版した。

 いまは娘も21歳でしょ。自分のためだけの時間だらけなのに、あれ、おかしいわ。と考えてしまう。もっと書けるんじゃない?

 同時に、この「あとがき」を読み返して、いまはある意味「美しい牢獄」なのではないか、とも思った。違うのは、自らそこに入ったわけではないこと。それほど美しくないこと。

 それでも、あのときのように、この環境を「自らの内面と深く向き合う時間」と捉えたらどうかしらね、とも思っている。

 逃避先のバンコクのホテルで書いた2019年年6月の「文庫版のためのあとがき」、そのラスト。

 マーク・トウェインの言葉を自分なりに超訳したものを紹介し、こう結んでいる。

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ーーすみやかに許し、くちづけはゆっくりと。

 人生は儚く、命は限られています。

 だから、自分が愛しいと思えないものについては、自らかかわって煩わされずに、自分がもっとも愛しいと思える時間に私のエナジーを使いたい。そのことで私も満たされたい。そんな想いでたいせつにしている言葉です。

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 いまも同じことを思う。

 命は限られている。どんなふうに死ぬのかはわからないけれど、時間は限られている。若さはぐんぐん失われてゆく。

 ……あ、若さの部分は、私よりもぜんぜん年下のひとを意識して言ってます。私はもう若くはないので。

 でも、若くはないのだとしたら、なおさら、自分自身に問いたくなる。

 ーーあなたがいま、いちばんしたいことはなあに?

 

 今日は自分の本のことばかりになってしまった。でも嬉しいお知らせがあった日だから。

 いま、ぱっと開いたページにあった言葉。

 「運命というのは、我々の人生にこっそり忍び込んでくるのではない。我々が開け放った扉を通って入ってくるのだ。」(シャーンドル・マーライ『灼熱』)

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