■緊急事態下日記 ブログ「言葉美術館」

■緊急事態11日目。孤独と笑いとカップルと

 

 ひとりきりの空間にいるときの孤独感と、パートナーと一緒にいるときの孤独感。

 どちらがきついかといえば、私の場合は後者。なぜなら、ひとが孤独なのは当たり前。

 その上で、孤独を感じないでいられる時間を切望しているから。恋愛感情で結ばれた相手には、そんな時間を期待しているから。

 同じベッドで味わう孤独の、あのせつなさといったら。

 とはいえ、いまは、そんなことどうでもいい、って言いたくなるくらいに、さびしい。

 

 今日は本を読まなかった。原稿を書いていたら没頭できたから、そのまま邁進。

 夜に「よいこの映画時間」のオンラインおしゃべりの予定があったから、それまでに、映画も観直して。

 そして「りきマルソー」とZoomに突入。

 ふたりで使うのははじめてだから、あれこれ設定から始める。

「りきちゃん、ねえ、ちゃんと映ってる?」

「映ってますよ、ほら」

 と写真を送ってくれるりきちゃん。2時間くらい楽しい時間を過ごした。たくさん笑った。

 笑うってものすごく免疫力たかめる、って知ってはいても、こう、体が感じると、ほんとうなんだなあ、ってへんに感心する。頭も体もきもちいい。

 今日観て話した映画は『マギーズ・プラン』。アマゾンプライムでいま観られるから、いいね、ということで選んだ。

 この映画、「ひとりの男とふたりの女」がいて、いまはこんな状況だから、自宅軟禁状態だったら、「彼はどちらといるほうがましなんだろう」って、そんなことを考えながら観た。まし、なんて言い方をしてしまうのは、彼がどちらの女性のことも、彼の意思で熱望していないから。

 

 私はこの映画を3年前に映画館で観ていて、そのときの記事もある。

 こちら。▽マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ

 今回読み直して、昨日書いたことと同じことを思った。

 同じ映画でも、そのときの私の状況によって、感じ方がこんなに変わるんだ、ということ。

 私は3年前の記事でこう書いている。

***

 私はつくづく、どうしようもなくカップルであるカップル、ってあるんだなあ、と思った。

 第三者から見れば、最初から最後まで、物語のなかで、どの「ふたり」が、フィットしているのかが、あまりにも明白。なのに、現実世界、自分のこととなるとまったくわからなくなる不思議。

***

 よく覚えている。3年前には、ブログには書けなかったけれど、くっきりとしたイメージがあった。けれどいまは、ここに書けないのは同じだけど、イメージはくっきりとはしていない。

 イメージがくっきりとしているときと、そうでないとき、どちらがいいですか?

 と自問。

 自答。

 わかりません。ただ、イメージがくっきりとしているときのほうが、胸の奥がひりひりします。

 

 今日は本のことが書けなかったな。これからもそういう日もあるだろうな。ということで「カテゴリー」編集して、「読書日記」から「緊急事態下日記」に変えました。コクトーの『占領下日記』読み返そう、と思いながら。

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