■緊急事態下日記 ブログ「言葉美術館」

■緊急事態16日目。孤独と寂しさの違い、哲学者と詩人

 

 いま、21時過ぎ。ヤフー・ニュース、上から順に。

「休業せぬ業者公表 政府が指針」「警鐘は基本宿泊療養 厚労省」「政府 自宅療養者数を調査へ」「警察事案 15人が死亡後に陽性」「母感染 うつさないの困難」「コロナで生活困窮 相談殺到」「GWに国道の通行規制を 知事会」「GWに国道の通行規制を 知事会」「10万円 DV避難先で受け取り可」……。

 都知事は「スーパーへの買い物は3回に1回程度に」。

 今日は夕刻、昨日買いに行けなかったテキーラを買いに行こうと最寄駅のカルディに向かった、そうしたら閉まっていた。そうだった。18時閉店になっていたのだった。ショック。

 いつも飲み歩く、駅近くのお店がどうなっているか、お散歩兼ねてリサーチ。半分くらいは休業、あとの半分は20時までの営業、いくつかは、テイクアウトを始めていた。

 コロナ禍、いつ落ち着くのかわからないけれど、そのころ、どのくらいのお店が残っているのだろう。

 今日はお気に入りのオーガニックのお店「みどりえ」でテイクアウト。

 

 まだ9時過ぎ。これを書き終えるころは何時になっているかな。

 

 今日は午後に、このサイトを運営してくれている水上彩ちゃんと電話で打ち合わせ。「14時に電話するね」とラインを送って、14:00に電話をかけたら、「すごーい、ぴったり」と、ころころ笑ってくれた。

「笑ってくれてよかった、数分前から待機してたの」

 まだ笑っている。すごい達成感。

「笑いは免疫を高めるから、笑ってくれるかなと思って、トライしてみたの、よかった」

 それから昨日の記事の最後にあげたユーチューブの動画をまだ観ていないというから、観る前に知っていると5倍楽しめる情報を提供。

「ずっとEl bailarin medio pelo、エルバイラリンメディオペロって言ってるの。バイラリンはダンスっていう意味、メディオは半分、そしてペロはヘアー(毛)のことなの」

 と、まるで自分の手柄のように言ったけれど、これはスペイン語ができるお友だちから教えてもらったこと。観たあとでもすごく笑えた。

 このサイトで新しいことを始めようとしていて、今回はすごく大変な作業になっている。彩ちゃんが。

 自分でできたら迷惑をかけないで済むのだけど、ダメな分野だから。

 水上彩ちゃん。すごいなあ。ワインの専門家で、着物もほぼその域で、タンゴに耽溺し、そしてライターとしても活躍。さらに若くてぴちぴちで美人でスタイルいいでしょ。それで私なんかのところに迷いこんで来てしまったくらいだから、その方面(どんな)の興味ももっている。それで記号だらけのサイトの構築なんかもできてしまうわけ。

 お手伝いしてもらっているから言っているのも2パーセントくらいはあるかもしれないけど、今日電話を切ったあとに、つくづく思ったこと。

水上彩『余韻手帖』はこちら。

 

 今日はまた初体験を。

 ずっと躊躇していたオンラインの雑誌読み放題に登録したの。「dマガジン」にトライしたのだけど、どうもドコモの登録がうまくいかなくて断念(この程度でつぶれる)、「楽天マガジン」にした。

 目的は、さいきんの女性誌をチェックすること。それから「週刊新潮」の五木寛之、「サンデー毎日」の中野翠、あと曽野綾子の連載を読みたかったのだけど、見つからない。

 今日の収穫は「ダ・ヴィンチ」。

 第2特集が「これからの孤独 ひとりでいることを楽しむために」。

 タイムリーな企画、ということなのでしょう。あまり期待しないで読み始めたのだけど、「識者に聴く、ちゃんとひとりでいる方法」がよかった。

 4人中、ふたりのインタビューがこころに残った。

 ひとり目。

 國分功一郎(こくぶん こういちろう)、哲学者。

 彼は私が尊敬する哲学者ハンナ・アーレントの思想を紹介していた。

 アレントとアーレント、どちらの表記がいいのかなあ。ヘプバーン、とヘップバーンみたいに、迷うところ。

 彼はアレント。私はアーレント。

***

 アレントは孤独(solotude)と寂しさ(loneliness)と区別しました。

 孤独とは私が自分自身と一緒にいること。

 でも人は自分自身と一緒にいられず、一緒にいてくれる人を探してしまう時がある。

 その時に人が感じているのが寂しさです。

***

 このくだりは、すとん、ってからだの真ん中におちたな。きもちよく私のなかにおさまった。

 けれど、つぎのくだり。

***

 アレントは全体主義を用意した20世紀初頭の大衆社会を分析して「大衆社会の大衆は、何にも信じていないから何でも信じる」と言いました。

 しかも騙されたとわかっても、「わかってたよ」というシニシズムでそれをやり過ごす。

 これはインターネットがフェイクニュースを撒き散らす現代社会の分析にもなっていると思います。

 何にも信じていないから何でも信じるが、騙されても怒りもしない。

 なぜなら「これだけは譲れない」と信じる価値がないからです。

***

 がーん。

 これって、私のことだ。「わかってたよ」というシニシズムでやり過ごすのは私だ。

 ぜんぜんだめじゃない。ハンナ・アーレントが好きなら「自分自身と対話することで人は自分が信ずるべき価値のようなものを育ててゆく」って彼女は言っているのだから、「信ずるべき価値」を育てないと。

 反省した。読んでよかった。

 國分功一郎さん、興味があるわ。1974年生まれ。8歳年下ね。写真、なかなか素敵だわ。ハンナ・アーレントの思想について、わかりやすく私だけに語ってほしい。(妄想タイム)

 

 さて、ふたり目。

 伊藤比呂美(いとう ひろみ)、詩人。

 私が好きな詩人! ものすごくエネルギッシュで、言葉の使い方がすごいの。1955年生まれ。私より11歳年上。写真、かっこいい。こんなふうなのもいいな。

 いまが、人生のなかで一番孤独なんだって。

「親も夫も死に絶え、子どもは離れて、私は20数年暮らしたカリフォルニアを出て、友人知人隣人に別れて、日本の熊本に犬と暮らしている。(略)街中の集合住宅に住んでますが、荒野の一軒家に住んでいる感じがします」

 インタビュアーの方、やりにくかったような、そんな雰囲気が伝わってくる。

***

 自身が向き合っている孤独というものを「そんなの、当たり前じゃん」と引き受け、あれこれ分解していくこともない。

 そんな伊藤さんに(略)、良き孤独を自分のなかにつくるにはどうすればいいのか、と訊ねたところ、「良き孤独なんてある?」という言葉がぽーんと返ってきた。

「孤独という言葉を使った時点で、いい孤独もわるい孤独もなく、孤独は孤独だと思うんですよね。(以下略)」

***

 哲学者と詩人。

「孤独」について語る、こんなに違う。私は両方とも好き、中途半端なのかな、両方に同じくらい共鳴してしまう。

 孤独は当たり前よ、もう、さすがに、それは体感している。

 でも寂しいときはある。この寂しさは、もしかしたら、体温に関係しているのかもしれない。そんなふうに自己分析して、ため息をつく。ひとのぬくもりが私はほしいの。

 

 もうひとつ。

 今日は、恋しいお友だちが、「宮台真司の『愛しのアイリーン』評:「愛」ではなく「愛のようなもの」こそが「本当の愛」であるという逆説に傷つく体験」のリンクを送ってくれた。

「無理矢理に直面する現実 揺れているときは、本質を探索したくなる癖があるみたい」というメッセージとともに。

 集中して、一気に読んだ。あいかわらず私には難しい宮台真司……。

 でも、どこまで理解できているかわからないけれど、ものすごく面白かったし、共感した。「本当の愛」という言葉以外は。私は使うのに抵抗がある言葉だから。

 それで『愛しのアイリーン』。

 観たくなった。ユーチューブで有料だけど観られるみたいだから、時間を作って観てみようと思う。これ読んだら、ぜったい観たくなるって。ぜひ。

 メモした箇所。

***

 所有とは「使っていなくても自分のもの」という観念です。

 この概念が、物だけでなく人にも適用されたものが「結婚」です。

***

 ああ、もう23時半を過ぎた。

 これからの2時間くらい、タンゴを聴きながら妄想するか、それとも、仕事原稿に手を入れるか、どうなるかなあ。

-■緊急事態下日記, ブログ「言葉美術館」