■書店の風景と占いと全盛期について
2021/04/09
お友だちから届いた写真だよ、と娘が送ってくれた。
「すごいねー」
「圧巻だねー」
「うそみたいな風景だねー」
「どんな気分?」
「ひとごとみたいなかんじ、自分が出したものとは思えないような。売れない作家の瞬間打ち上げ花火だね。長くは続かないどころか、一瞬ってわかってるから、喜んでいいのかどうしたらいいのかわかんない」
「全盛期ってやつかね」
そんな会話をして、ふたつのことを思った。
ひとつは、東京に移住してからのことだから、10年くらい前かな、お友だちの熱心なすすめで、たてつづけにふたりの占い師さんのところへ行った。
ふたりとも、西洋占星術だけではないものの、それもあったから当然なんだけど、ふたりから同じことを言われた。ものすごい成功の時期が訪れます、大ブレイクします。
54歳〜56歳の時期に。
私はそれを聞いたとき、先すぎる、それまで生きていないかもしれないじゃない。
ということと、成功って何をもっての成功なのかな、大ブレイクってなんなのかな。
そんなことを考えていた。
ふたりとも私の職業は知らない。
そしてふたりに共通していたことは、私のことを同業者だと最後まで疑っていたこと。帰る間際になって問われて、違います、と答えたけれど。
ひとりには、ぜひ、こちらの世界へいらしてください。あなたにはその才能があります、と熱心に誘われた。
娘との会話から思ったもうひとつは「全盛期」について。
ちょうどいま執筆中の原稿で全盛期について書いていたから。
私は全盛期という言葉を慎重にあつかいたいと思っているということを。
ひとりの人間として、何かを表現しようとしている人としてその人を見たとき、全盛期という言葉をもち出すのは何か違うような気がするし、見る側の価値観、視点が問われることだと思う。
私だって娘との会話のときみたいに、冗談まじりの「全盛期」だったらいつだって使っている。
けれど、そうではないときは、慎重になりたいということ。
たとえばピアニストのフジコ・ヘミング。テクニックがすばらしかった若いころの演奏に美を見るか、それとも八十歳を超えた彼女の演奏に美を見るか。
たとえばタンゴのマリア・ニエベス。若いころのショータンゴでみせたすばらしい踊りに美を見るか、八十を超えてからの踊りに美を見るか。
全盛期について語るときには、慎重に、というのはそういう意味。
私についての全盛期については、好奇心ということでいえば、あのころ。恋愛のときめきでいえば、あのころ。仕事が量的にたくさんできていたのは、あのころ。肌の張りでいえばあのころ。そういう時期ならある。
書店に自分の本がたくさん並べられていた、という観点から見れば、まさにいまだろうということになる。
そんなことを考えた。
とはいえ、なんにしても、この書店の風景は、ほかの本もさりげなく並んでいるけれど、喜ばしいことなのだろう。
この記事を書いていたら、家の近くの書店さんから注文のファックスが届いたよ、とそれぞれの冊数とともに娘から報告が。
毎日外からチェックしている書店で、もう〇〇が売れちゃったようすなのにまだオーダーないねえ、なんて話しているから、なんだか楽しい。