◆私の人生に加わった『ゆかいな仲間たち』
私はずっと、私の人生には恋愛感情を基本とした男たちがいればいいと思ってきたような気がする。
「友」という言葉を体感したのは、「私的時間旅行」に詳しくある。30歳のとき。それから軽井沢時代、『軽井沢夫人』を捧げた知友との出逢いがあった。彼女たちとは、かなしい、けれど必然的な断絶期を経て、いままた、一緒に時間を過ごせるようになった。ほぼ同年齢の友だ。
そういう友とは、ちょっと違う人たちが、気づけば、私の周りにいると気づいたのは、最近のことで、ほんと50歳の年だったのではないか。今もまだ50だけど、なんだか50歳のころから、周囲の景色が違ってきて、私の周りに恋愛関係を基本にしていない人たちが集まっているようなのだ。
彼らは私よりだいぶ年下、私より15も20も若くて、そして、たぶん、私に好意、あるいは興味をもっていてくれる。これが私のような傲慢な人間には重要ポイントではあるけれど、彼らからの好意興味だけで関係は成立するはずもなく、そう、彼らは私にいろんなものを与えてくれる。どこかミスフィッツな感覚を抱いているということで、似ているからかな、居心地がとってもよい。
敬愛する中田耕治先生の言葉を借用すれば「同じ精神圏にいる」って感覚が近い気がする。先生はこれを偉大な芸術家たちに使っているので、私はほんとうに図々しい。
そして私は、この現象は私に何かを告げているに違いない、と思った。こんなときだけ突然スピリチュアルみちこになるわけだが、とにかく、そう、何かを告げているに違いない、とあれこれ考えた。
結果、私と彼らの交流をこのサイトに記録しよう、と思った。私が彼らと交わることによって生まれるものをここに記録するのだ。
というわけで『ゆかいな仲間たち』というカテゴリーを作った。
いま、スタートしているのは二つで、
水上彩ちゃん。彼女は「誰か、私のことを好きな人いない? そして仕事を手伝ってもいいよ、って人いない? いないよね、いるはずないよね」という私の声に反応してくれて、「仕事ですからー」ではなく、私が期待していた以上のあらゆることをしてくれた人。いまも継続中。
この公式サイトを作ってくれて、50歳の写真撮影から写真展までをすべて手伝ってくれたりした。まだまだあるから、それらはほんの一例。
彼女が最初のメールに書いてくれた、おかね以上のものが得られると思っています、という言葉を私は忘れない。
水上彩ちゃんは上質のセンスをもつライターなので、私と過ごした時間のことなどを、彼女の感覚で書いてもらうことにした。
出会ってからいままでの、過去の記事もアップしてもらった。私が知らないところで、彩ちゃんの視線のなかに私がいたという事実に胸が熱くなる。言葉の記録が、だから私は好き。
りきマルソー。りきちゃんとは、とにかく感覚が合う。私より20歳も下なのに、すべてについてきてくれる。同年齢としか思えない。お母さまの影響が大きいらしいけれど、それにしても、年齢を偽っているのでは、と思うほど。
そんなりきちゃんは映画好きで、私も映画好きで、ときどき一緒に映画に出かけるなかで、こんな会話が。
り:「もっと映画の記事を書いてほしいです」
み:「なかなか書けなくてねー。やっぱり原稿料的仕事からしないといけないから、とほほのほ」
り:「たとえば路子さんがしゃべったことを誰かがまとめるっていうのはどうですか」
み:「ああ、それならね。……ところで、誰かってもちろん、りきちゃんよね」
り:「……」
そんな流れで、「よいこの映画時間」が始まった。
書くという行為から生まれる言葉と、話すという行為から生まれる言葉は、これほどまでに異なる。活字になった自分のしゃべりを聞いて、その品のなさ、低俗さに愕然としつつ、ああ、これが私のありのまま。と諦観モード。でも、会話形式ってすらすら読めて、私自身が楽しみにしている。
いつの日か、この記録たちが、一冊の本になればいいなと夢想している。
『ゆかいな仲間たち』、どうぞご覧ください。