▽映画 ブログ「言葉美術館」

■ただひたすら考える。ハンナ・アーレントとともに。

 

 

 23日、ブログ記事を「書く」ことで、すこし落ち着いたけれど、その日いちにちは、ずっと自問自答。

 かなしくなる、と私は表現したけれど、それは違うのではないか。私はたしかに、こんなに憤っている。怒っている。けれど、もしかしたらこれって、歳をとると怒りっぽくなる、っていう現象なのかな。いいえ、違う。私のこの怒りにはちゃんと説明できる理由があるもの。でもあなた言っていなかったっけ。「すみやかに許し、くちづけはゆっくりと」がいい、とかなんとか。言っていたけど、でも私にだって限界はあるよ。超えられたら反応しないではいられない一線ってあるよ。でも、そんなに大したことではないのでは? そうね、事実を、たとえばここに書いたなら、大したことないのかもしれないけれど、私自身が受けた傷は深いもの。肝要なのは、何をされたか、ではなく、誰にされたか、でしょう。私だってきっと気づかないうちに、たくさんのひとを傷つけて生きている。でも、だからといって、自分がはっきりと傷ついた、と感じたときには、なぜ傷ついたのかを考えないといけない。相手にそれを伝えるか伝えないかはさほど重要ではない。なぜなら、その相手はどうしても関係を持続させたいひとではないから。そう、だからたいせつなのは、考えること。

 きちんと考えるために私自身が立っているところを、確認したい。

 そんなことを考えながらひとり街を歩いていたら、むしょうに「ハンナ・アーレント」が観たくなった。DVDを買っておいて本当によかった。

 もう何度目かな、4度目くらいかな、夜、映画を観た。

 何度観ても、戦慄するラスト、8分間のスピーチはもちろん、あらためて、このようにアーレントを描いた監督マルガレーテ・フォン・トロッタに感動する。

 そして翌日は、ずっとハンナ・アーレントですごした。この映画のパンフレットはほんとうによく作られていて、作ったひとの情熱をひしひしと感じる。なにかを作ろうとしたなら、ここまでの情熱がなければいけない、とあらためて思わされるほど。

 採録シナリオもある。今回胸に響いたセリフ。

 8分間のスピーチのあと、ラストのラストでのアーレントのセリフ。

「みんな、過ちを認めろ、って迫るけど、何が過ちなのか言えないのよ。」

 いまの私の気分にぴったりとフィットした。それは違う、と思ったときに、その理由をきちんと言えないのなら口にすべきではない。でも考えることは面倒なことだ。そんなことよりも楽しいことに時間を使ったほうがいい。そういうやり方もあるだろう。

 けれど、考えることをやめてしまったら、私としては人間おしまい。

 8分間のスピーチのなかにもある。

「思考の嵐がもたらすものは知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても考え抜くことで破滅にいたらぬよう。」

 アーレント関連の本を2冊、読んだ。難しい。自分の頭がもっとよかったらなあ、と思う。アーレントの哲学を私はその1パーセントも理解していないだろう。けれど、すくなくとも映画で描かれたアーレントの視線、行動には強く共感する。なんらかのものは受け取れている、と自分を慰めよう。

「ハンナ・アーレント」の映画を観たこと、特典映像としての監督インタビューを観たことで、私は私自身の立ち位置が確認できたように思った。ほっと安堵する。私をこんなふうにしてくれる。これが芸術の力。

*どんな映画なのかは以前に書いているので、こちらをどうぞ。

 

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