▽映画 ブログ「言葉美術館」

■カポーティの映画

 

 疲れきって、なんにも考えられない、なんにもできない、そんなときはひたすら映画を観る。別世界を覗き見たり、たまに、入りこんだりすることで私は休養をとっているような気がする。

 先日もいちにち、横になって映画を3本。

 前から観たかった『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』。これはカポーティのドキュメンタリー。期待したほどのものではなかった。というのは、周囲の人たちの語りが多すぎたから。

 でも、これに触発されて、以前一度観たことがあるカポーティの伝記映画『カポーティ』を再び。

 じっさいに起きた殺人事件、その犯人に密着取材し書いた『冷血』。「ノンフィクション小説」なる分野のさきがけと評価されている。

 観ていてつらかったな。

 作家はよい作品を書きたいから犯人に「友だち」だと思わせる。きみの理解者なんだよ、と。そして、それは完全な嘘ではなく、どこかで作家は犯人にシンパシーをいだいている。けれど、すぐに死刑だともくろんで始めたことだから、いろんな理由で死刑が延期されてゆくにしたがって、作家は苛立つ。

 はやく死んでくれ。そうしなければ物語が完結しない、って。

 いま現代は、じっさいに起こった事件に着想を得た小説は数多く存在する。

 私は書けるかなあ、と夢想。

 どんな書き方をしたって、誰も傷つけずに書くことなんてできない。なんらかの出来事を語るとき、誰も批判することなく語ることができないのと似ている。誰も傷つけずに生き続けることはできないのとも似ている。

 書けないんだろうなあ。

 

 髪を切った。ロングヘアに慣れていると、髪はなくなってもしぐさは残る。今日なんど髪をかきあげようとしたことか。

 そこにあったもの、いたものがなくなってさびしく思うか。そこにあったもの、いたものがなくなってすっきり思うか。

 とりとめのないことばかり頭がぐるぐるの連休明けの夕刻。

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