▽グッド・ハーブ
メキシコのことが少しでも知りたくて観た映画。
生と死がとても身近にある世界観とか、私のところまで漂ってきそうなみずみずしい緑とか、そういうのが魅力的だった。
母と娘の関係がテーマのひとつにあったのも興味深かった。
それでも、あまりにも淡々とこまごまと、ヒロインたちの日常を描いていくので気をつけないと意識が遠のいてしまう、そんなかんじで私は見ていたのだ。
そしてラストで感覚全体が起床するみたいになった。
ハーブ研究家でもある母親がアルツハイマーを患ってしまう。
(母親役が1990年公開のほうの「フリーダ・カーロ」でフリーダを演じたオフェリア・メディーナ。美しすぎる……)
一人娘に母は言う。アルツハイマーに罹ってしまったけれど、私は病院で幼児みたいに扱われるのは嫌。誰かの負担になりながら生きていくのも嫌。
娘は母親の意志をくみとり、自宅で看ることにする。ものすごい勢いで病気は進行する。
途中、自分のために必死にハーブを調合したりして、ほんとうに悲しい。理知的な人だけに悲しい。
やがて娘の顔もわからなくなり、さらに、もうただベッドで息をしているだけ、そんな状態になってしまった母親に娘がしたこと、それは枕を母の顔におしつけることだった。
私はこのラストシーンにほんとうに衝撃を受けた。
だだっと涙があふれてきた。
それまで意識が遠のいていたりしたくせに、ああ、そうか、これまでのあの淡々としたこまごまとした描写は、すべてこのラストシーンのためにあったんだ。この最後を納得させるためにあったんだ。
そう思った。
この母親だから、この娘だから、この結末。
そのように納得させる物語で、私はすばらしい芸術作品を見たことに、気づいた。
すべての物語はたった一行のためにある。というのが私は好き。
このラストについてはさまざまな意見があるだろう。
私はすっかり母親の立場に立って、このひとをうらやましいと思った。このような愛情あふれる、母を理解した娘をもって幸せだこのひとは。と思った。
それでも一方で別のことも思った。
いつか読んだ本のことを思い出したのだ。
植物状態になった人をただ生かし続けていることは無意味とは言い切れず、植物状態になった人も、そうなることで周囲の人たちに、何か重要なことを与え続けている。意味がある。
そんなことが書いてあった。
正解なんてわからない。人生は残酷。アルツハイマーで思い出す映画は「アイリス」。これもせつなかった。