▽映画

▽アリスのままで

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自殺さえできないんだ。

美しく死ぬことは許されないことなんだろうか。

そんな想いが残った。

『めぐり逢う時間たち』以来、気になって、追いかけている女優ジュリアン・ムーア主演の映画、『アリスのままで』。

言語学の教授という、思いっきり知的で、思いっきり言葉の世界に生きている女性が若年性アルツハイマーによって、みるみるうちに記憶をなくしてゆくという物語。

物語の冒頭シーンがなんたって、ヒロインのアリス、50歳の誕生日の食事の席。
あとひと月も経たないうちに50歳の誕生日を迎える私としては最初から、他人事にはならない。

どんどん症状が進行してゆくなかで、ヒロインのアリスは自分に向かってのビデオレターを作る。
娘の名前が言えなくなったら、このフォルダーを開けと。
そして、そのビデオレターには、未来の症状がもっと進行した自分への「指令」が語られる。つまり、一瓶の薬を水で流し込み、そのまま眠りなさいと。
もう自死とかそういうのがわからなくなっているに違いないから、とにかく、あの部屋に行って、引き出しのなかの薬を取り出して、それで飲んで寝るのよ、っていう指令。

でも症状が進行したアリスがたまたまそのフォルダーを開いて、指令の通り動こうとしたときには、もう遅くって、つまり、症状が進行しすぎていて、その指令の通り、できない。

それが私にはやりきれなかった。

家族に迷惑はかけたくないよね。

だからもし、記憶がなくなってゆく病気になって、娘さえ判断できなくなるようなら、その前に自分で命を終えたい。

そう願って、どうしたらいいのかなんてことをいつも考えているけれど、この映画は、同じように考えている人がいて、それでも、うまくいかないんだ、それを含めて、人生ってやっぱり過酷なんだ、っていうことを私に再確認させた。
この映画の原題は「STILL ALICE」。

まだアリス、いつまでアリス……いつ、どのような時点で人はその人でなくなるのだろう。それとも永遠にその人であり続けるのだろうか。

アリスは、娘の名前が思い出せなくなったときを、「ある時点」と決めた。

STILL ALICEってタイトルは、決断を下すことの難しさを語ってもいる。

何をもって、私は自分をMICHIKOだとしているのか。
何が失われたとき、「STILL MICHIKO」と言えなくなるのか。
そう考えてゆくと、ほんとうに、あらゆる事象が儚くて、たまらなくなる。

アリスが症状があまり重くないときに、同じ病を抱える人たちの前でスピーチした。
このスピーチの場面が物語の一つの山場でもある。
そのなかで、彼女が語った言葉、アルツハイマーという記憶や思い出を奪ってゆく病が進行してゆくなかで、彼女が言った言葉は、やはり重く深く胸に沈んだ。
「瞬間を生きるということ。それが私のできるすべてです」
私の言葉でもある。

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