▽映画

◎ダメージ◎

2016/10/21


Da

いま書いている原稿のなかで引用したい部分があって、久しぶりに「ダメージ」を見た。
何度も見る映画のひとつで、DVDをもっている。

「宿命の愛に魅入られた男の破滅への軌跡」の物語。
宿命の女ファム・ファタルにジュリエット・ビノシュ、破滅する男にジェレミー・アイアンズ。
もうこれ以上はないだろう、ぴったりのキャスティング。

それにしても、いつ見ても、性愛シーンがすばらしい。
ルイ・マル監督の美意識があらわれている。
そこには、生殖行為ではなく、しかも性行為そのものですらなく、なにか身体の内側にどくどくと脈打つものに、うったえかける、まさにエロティシズムが漂っている。

私はこれを見るといつも髪を漆黒のベリーショートにして黒いストッキングにハイヒールをはきたくなる。

すっかり女に魅入られた男は社会的地位も家庭もすべて捨てようとする。
ちなみに女は、男の息子のフィアンセ。

「ちゃんとけじめをつけたい」と、男は女との結婚を望む。
女は言う。
「意味のないことよ」「私と毎朝一緒に朝食を食べるの? 私とひとつの家に住んで一緒に新聞を読むの?」

私たちはそういう関係ではないのだと、女は言いたい。
そして男に問いかける。
「離婚して何を得るの?」と。

何を言っているんだ、という勢いで男は言う。

「きみだよ、きみを得る」

女は男を見ながらしずかに言う。

「もう手にいれているのよ」

このやりとり、セリフははじめて見たときから心に残っていた。
はじめて見たのはもう20年も前だけれど、あのころは恋愛で痩せるほどの状態にあったから、「手に入れる」というのはいったいどういうことを意味するのだろう、と真剣に考えた。

結婚を経験する前で、でも結婚願望はなかったから、それを映画の男のように「結婚」だとは考えなかった。

思えば、あのころと今とでほとんど考えは変わっていないように思う。
私はおそらく「手に入れる」という感覚を知らない。
もちろん瞬間瞬間のパーフェクトな、今死んでもいい、と思えるほどの想いはある。
それは『女神〈ミューズ〉』に描いたつもりだ。
でも、それだって持続するものではない。

でも、だからこそ、瞬間が愛しい。
この考えも、あのころと変わっていない。

今朝は玄関のドアを開けたとたんに冷たい空気がすうっと首筋にまとわりついた。
昨日は紙くずみたいな状態だったけれど、今日は仕事ができそうで嬉しい。

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