▽映画 ブログ「言葉美術館」

▽ジュリエッタ

320

「居場所もわからない娘に宛てた届くはずのない一通の手紙。母が綴った「本当に娘に伝えたかったこと」とはーー。

娘は突然、何も言わずに姿を消してしまった。--過ぎ去った空白の12年間

ジュリエッタは過去を振り返り、あらためて姿を消した娘を想うーー。

……好きなペドロ・アルモドバル監督の新作が、このような内容なのだと知って、公開日を待ちわびて、恵比寿ガーデンシネマに出かけた。

テーマが母と娘。しかもひとり娘。しかも娘が失踪してしまう。ぜったい他人事ではない、という確信があった。

そして、やはり他人事ではなかった。

夫を喪い鬱病になる母をケアする娘の姿なんて、観ていて胸がえぐられるようだった。

それでもほんとうに観てよかった。

観終わったあとの満たされ感が半端ではない。目の奥の奥までをも彩ってしまいそうな美しく鮮やかな色彩と、ほとんど暴力的なまでに感情を暴れさせる人々を目の当たりにして私、こんなに虚無に支配されてしまっているのに、それでも「人生って悪くはない」、そんなふうに思った。

失敗しまくっても、いいのかもしれないね。しょうがないよ、そのようにしかできなかったのだから。

映画のスクリーンに慰撫されているように感じたのは、アルモドバルの愛情を私なりに受け取ったからなのだと思う。

お友達にそんな話をしたら、さっそく翌日観に行ったと、メールをくれた。彼女は私よりもアルモドバルが好きな人だし、私と似ているところもあるし、きっと肯定的な感想がくるだろうとは予想していたけれど、やはり、とてもよかったと、胸に突き刺さった、とそのメールにはあった。

私は彼女となにか大切なものをまたひとつ共有できたようで、胸があたたかくなった。

それでもぬぐいきれない、虚無の気配。外は雨。東京は雨。

軽井沢で、「外は雨」と書くときはそれほどさびしくはなかったように思う。決定的なさびしさは、そう、いまに比べたら、なかったように思うのは過去美化現象なのか。

もういいかげん、慣れたいと思う。ひとりでいることに。ひとりで生きてゆくことに。それが当たり前、という人生の真実をこの身のなかにしっかりと置きたいと切に願う。そうしたらきっともうすこし、息がらくにできそうな気がする。夜、眠る前の、あの緊張、恐怖をなんとかしなければ。サガンの言葉が浮かぶ。恋人を喪ったとき彼女は言った。「これからは誰と眠ればいいの?」。サガンも、そう、孤独をテーマに描き続けた彼女もまた「夜、ひとりで、眠る」ことが耐えられないひとだった。

-▽映画, ブログ「言葉美術館」