◆憎しみのタンゴと「不変なものなんてない」
2017/08/10
2015年の私自身の標語がマーク・トウェインの「すみやかに許し、くちづけはゆっくりと」だったとしたら、2016年は「憎しみを創作活動に」だったかな、と思う。
「憎しみ……」は、今年観た映画の中のナンバーワン『ラスト・タンゴ』、伝説の、そして現役のタンゴ・ダンサー、マリア・ニエベスのセリフにインスパイアされた私の言葉だ。
マリア・ニエベスはパートナーのコペスを激しく愛し、そして激しく憎んだ。
愛しているときも憎んでいるときも、タンゴを踊った。憎んでいたときのダンスについて「あれは憎しみのダンスだった」と言った。
私はこのセリフに強く胸を突かれて、タンゴの世界に、それまでも好きではあったけれど、強くいざなわれたのだった。
憎しみでもいいんだ、それでも、あんなふうにすごいタンゴが踊れるんだ、いや、憎しみがあればこそ、あのような凄みのあるタンゴが可能だったのではないか。だとしたら、私は、自分のなかに生息し始めた憎しみという感情を前に、悲しく打ちひしがれていたけれど、そうではなくて、その憎しみを受け入れ、創作活動のエナジーとし、昇華させればいいのではないか、そんなふうに考えるようになった。このように考えられるようになったことは、確実に、救いだった。
タンゴは私のような人間を拒絶しない。
それにしても、「許し」の翌年が「憎しみ」とは。われながら極端。
もしかしたら、キュートな年下のお友達が言っていたのはこういうことだったのかな。私の朗読劇「ミューズ」を観てくれた彼女は、一番感銘を受けたのは、私の「人生をドラマチックに生きる! という才能です」と言ったのだ。
このところはとくに、「お願い、穏やかにね、お願い私、モネの睡蓮は美しい……でしょ」ってかんじで生きていたから、ちょっと意外だったけれど、たしかに、良い悪いとは別のところで、じつのところ、穏やかな世界では安住できない性質があるのかもしれない、嫌だけど。
そんなこんなで、来年はどんな標語をかかげようか、と考えてみた。
このところずっと頭を占拠して離れない、あれかな。
「不変なものなんて何もない」。
そう、なぜだろう、このところ、この言葉が頭からほんとうに、離れない。
春にナタリー・ポートマン主演で映画『ジャッキー』が公開されるらしいけれど、そう、「ジャクリーン・ケネディという生き方」でも、強調したジャクリーンのセリフだ。
***
絶対に変わらないのは、不変なものは何もないという事実だけよ。
だから、何にも、誰にも頼ることはできない。
頼れるのは自分自身だけ。
これがつらい思いをして私が学んだことよ。
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これ、2015年11月4日に書いていた。このときの気持ち、これはあまり変わっていないかな。矛盾の匂いがするかな。
でもね、やっぱり、不変なものなんて何ひとつとしてない。形あるものは壊れ、手にしたものは失われ、人の心も熱くなったり冷たくなったりする。
こんな当たり前のことを、忘れてしまいがちだから、私は間違った執着をするのだ。
だから、2017年はこの言葉を忘れないようにしよう。
不変なものなんてないんだよ。
*今年2016年の7月にオープンした「山口路子ワールド」。水上彩さんの力がなければ不可能でした。感謝しています。このページの写真も彩さん撮影。
*ちょっと前に「特別な物語」に「軽井沢時間」を再録しました。ご覧ください。
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