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◾︎「バルバラ」と孤独と音楽関連の映画と

 

  先週、原稿をあげた翌日、終了日がせまっていて気になっていた「バルバラ セーヌの黒いバラ」を観てきた。渋谷文化村。

  懐かしいバルバラ。ある一時期、浸りきっていた。退廃的な重く薄暗い世界が好きだった。

  いま聴くと、軽井沢のあの家のリビングを思い出す。冬の、ストーブが燃えていたリビングのソファでひとりバルバラを聴いていた、あの物憂い午後を。……なんて、ほら、文章までがすぐにこんなふうになっちゃう。

  同じシャンソンでもピアフとは違う魅力をもつ。バルバラは自ら作詞作曲をするということでも違う。いや、比べることに意味はない。

  映画で描かれたバルバラは、熱狂的なファンをどんなに多くもっても、名声を手にしても、絶望的なほどに孤独だった。私は彼女の孤独が痛かった。

  痛い、痛いなあ、って感じていたら傷口ができて、一気に、ふだん必死で遠ざかろうとしている孤独が、その傷口から入ってきて、からだを乱暴にめぐった。

  その日は、たまにはひとりで外で珈琲でも飲もう、って考えていたのに、鑑賞後、そんな気にならなくてそのまま帰宅。

  帰宅したらポストにDVDが届いていた。「サガン ー悲しみよこんにちは」。公開時は映画館で、その後もDVDを借りて観ていたけれど、これだけ何度も観たくなるなら買ってしまおうと思ったのだ。

  バルバラの孤独に沈潜したまま。

  今日はさすがにやめたほうがいいと思うよー、ダブルはきついよーと自分に言いながら、それでも観たくて観てしまう。

  サガンの孤独に、こんどは涙する。

  バルバラもサガンも同じだ。

  結局のところ、彼女たちが切実にもとめているのは、今夜からだをくっつけて眠りたいと思う人、眠ってくれる人。ありのままの自分を愛に満ちた瞳で見てくれる人。安心できるあたたかな胸。人は孤独であるという人生の真実をつかのま、意識しないでいられる時間。

  そして私もそう。

  バルバラとサガン。

  ああ。

  案の定、孤独におしつぶされて、その夜はふるえながらベッドへ。ひとりで眠ることがこんなにこわい夜も久々だった。

  明日はコメディ映画を観ようと決意。

 

  渋谷文化村のル・シネマ。20代のころから、いったい何回位通っただろう。

  ちょっと前にはピアソラのドキュメンタリーを観た。

  期待が大きかった、あるいは違うものを期待していたからか、残念だった。偉大な父親をもった、そしてその父親との関係がよくなかった息子の認証欲求ばかりが私にはせまってきてしまって、だめだった。でもすごく評判がよいみたい。私の感受性が鈍いのか。

  そういえば、それよりもちょっと前に観た「ボヘミアン・ラプソディ」もあまり響かなかった。多くの人が大絶賛しているのに、感動できないなんて損した気分。

  クイーンについての知識が私はほとんどなかった。

  その人を知らない人へその人の魅力を伝えることの難しさを痛感。自省する。

  音楽映画ではずーっと前に観た「ローズ」、ジャニス・ジョップリンの伝記映画が心に残っている。ベッド・ミドラー主演の。あれはよかったな。

  あとはもちろん「ピアフ 愛の讃歌」。劇場で最後、涙で席を立てなかった。

  感動する映画なんて、年に何本もない。ひとつもない年だってある。年々減ってきている気もする。これはしかたないことだけど、でもだからこそ、運命の一本との出逢いを求める気持ちは募るばかり。

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