◎77本目『苦い涙』
【あらすじ➕α】
アパルトマンの一室を舞台に、繰り広げられる恋愛の苦しみや甘やかなところ、そして醜さ美しさせつなさを描いている、たのしい失恋映画です。
エスプリ、風刺、ユーモアがたっぷり。
恋人を別れて落ちこんでいる有名映画監督ピーター・フォン・カント(ドゥニ・メノーシェ)のところに、3年ぶりに親友の大女優シドニー(イザベル・アジャーニ)がやってきます。彼女は会ったばかりの若くて美しい青年アミール(ハリル・ガルビア)を連れていて、ピーターは一目で恋におちてしまいます。
アミールに夢中になったピーターは、アミールが俳優として活躍できるようあれこれと力を尽くして、愛を注ぎまくるのですが…。
という物語。
ちょっと不気味で興味深い存在としての秘書のカール(ステファン・クレポン)はピーターになにをされても言われても従順なのですが、どうにも目がはなせません。
また大女優シドニーを演じる大女優イザベル・アジャーニからも目がはなせません。(み)
『焼け石に水』の方が…。
『焼け石に水』では歌うシーン、あったっけ?
オゾンの作品は、一昔前の歌を重要視して使うことが多いですが、今回もそういう曲がありましたね。
※「人は愛するものを殺す」は、オスカー・ワイルドが同性愛の罪として収監されたことを詩にした「レディング牢獄のバラード」をもとにファスビンダーの盟友であった音楽家ペーア・ラーベンが作曲した。
『ファスビンダーのケレル』でジャンヌ・モローがキャバレーで歌う曲であるが、劇中ではイザベル・アジャーニがドイツ語でカヴァー、これに合わせてピーターがシャツをはだけ踊り始める。(パンフレットより)
『8人の女たち』好きとしては嬉しい演出でした。
自分の作品で、自分の過去の作品の音楽を使うなんて、ちょっとにやりとしちゃいますよね。
絶対に狙って作っていますよね。
THE 普遍的という感じがしました。
昔、こんな作品ばかり観ていたな…。
作品に軽さがある。
レトロな感じの中にお遊び的な要素や普遍性もある。
恋愛の中で、こういう風になっちゃうよね、このどうしようもない感情を表に出してしまう時もあるよね…みたいな、今まで自分が恋愛をしている時に体験した、たくさんの「あるある」の中に、オゾン色がねっとりと練り込まれた感じでした。
ピーターと出会った当初、アミールはまだ芸術のことなんか何も知らない人なのに、ピーターと寝た後には「聖セバスチャン」のポーズをすぐとっているの。
オゾンが狙ってさせているのだろうけれど、アミールが壁にあった「聖セバスチャン」の真似をした、という深読みもできる。
気まぐれな若い男に勝手に惚れて…。
創作の元になったファスビンダーの『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』と比べてみたくなるね。どれくらい演出を変えているのかしらね。
ファスビンダーの作品も狙ったような演出が多かったりして…原作に忠実なのはどちらなのかな。
原作では女性同士の話だったみたいだけれど、それをオゾンが男性同士に解釈したのか。
ピーターの娘がシドニーをネチネチと攻撃していましたけど、アジャーニの私生活のことを言ってるみたいで面白かったです。
豪華絢爛ですな。
上手いというか…女優へのリスペクトと意地悪さが入り混じっている感じがします。
そちらは女性同士の恋愛を描いているみたいだから、あってもおかしくはない台詞ね。
だから、あなたに怒鳴られても、言い寄られても、何も思わないです(笑)。
ずっと泣いてましたもんね。
あの歪んだ顔がずっと脳裏にある。
後日読んだオゾン監督のインタビュー記事。
直接的な答えではないが、ドゥニ・メノーシェをキャスティングしたことなどに触れている(“フランソワ・オゾン、映画監督の権力、愛、ファスビンダーについて語る。” 「フィガロジャポン」より)
ーー主人公ピーター役のドゥニ・メノーシェは、ファスビンダーに外見を似せているように思います。それが彼を選んだ理由でしょうか?
また、あなたが言ったようにオリジナルではピーターはファスビンダーの自画像と言われていましたが、あなたは主人公の職業をファッションデザイナーから映画監督に変更しました。
これは、あなたの自画像でもあるのでしょうか?「さまざまなものが共存していると言っていいかもしれないませんね。
アーティストというのは往々にして、自分の人生と自分の仕事を混同するというか、境界をなくしてしまうところがあります。
とりわけ映画監督は俳優たちとの関係性を仕事と延長線にしてしまうところがありますから。
私はファスビンダーのこの戯曲は、チェーホフやシェイクスピアの作品のような、ひとつの古典であると捉えました。
そこに私自身の監督としての女優や男優などとの関係性を反映している部分もあります。」
それがエマニュエル・べアールだと気付いてからは、ずっとべアールに見えてた。
アヒル口や異様な雰囲気を持っているところも、表情の動かし方まで似ていた。
そうかなぁ…?(笑)。
カールが感情を思いっきり出しているシーンなんて、ラストシーンあたりで、ピーターに唾を吐きかけるところぐらいでしたよね。
それなのに、急にピーターが自分に興味を持ち始め、下手に回る態度を取ってきたので、一気に冷めた、という感じですかね。
ラストシーンで、アミールからお誕生日お祝いの電話がかかってくるけれど、ピーターはアミールと会おうとしないし。
冷める瞬間はあるけれど、ピーターは気持ちが冷めたわけではない。
終わりなんだ、というピリオドが見えた瞬間なのかもね。
あそこまでやらなくてもいいけれど(笑)。
全身で疲れてしまい…。
ひと月後くらいには会いたいと思うかもしれないけれどね。
絶対にあれで終わりではない。
あんなに激しい感情はもうないと思います。
でも、サラッと「会えないよ、いい旅行をね」、みたいに言われてしまうと、当たり前のように拒絶してきていたのに、初めて断られるみたいな感覚に陥る…みたいな感じかな。
ピーターのことを嫌いだったわけではないけれど、アミールもああいう形でひとつの恋愛の終わりを見たのだと思う。
なんだかんだいって、ピーターを好きになるくらいの感受性を持っていたのかもしれないね。
今回そう思わなかったのは何故ですかね?
ピーターは、愚かで愛欲に溺れやすいのよね。
そんな中、美男子のアミールが登場したから、自然とそういう流れになることが分かる。
ベタな映画だと話したけれど、要するにこの展開もステレオタイプで分かりやすいの。
内容も社会問題を絡めていたり、活動家が宣伝をしていたり。
でも、LGBTQなら観なくてはいけないみたいな押し付けがましさのような雰囲気を感じることがあるんですよね。
別にそういう作品を否定したいと思っている訳ではないんですよ。
オゾンだって、神父による児童への性的虐待を描いた『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』みたいな作品を撮っていますから。
だからといって、ゲイを笑いものにすることに賛成するとかではないですが、その世の中の動きの中で、敢えて社会性を全面に押し出さず、「THE ゲイ」みたいな内容の映画を出すのは、ある意味オゾンすごいなって思います。
たまたま相手が男だっただけ。
例えば、これがドランの『マティアス&マキシム』みたいに、「これは普通の恋愛の映画なんだ」って宣伝されていたら、みんなどういう反応していましたかね。
オゾンが『白雪姫』を撮りました、みたいなのと一緒。
白雪姫のあのシーンをこう表現するなんて面白い…みたいな楽しみ方だから、それが前提にないと、映画マニア以外はどう観ていいかわからない作品かもしれない。
~今回の映画~
『苦い涙』 2022年 フランス
監督:フランソワ・オゾン
出演:ドゥニ・メノーシェ/イザベル・アジャーニ/ハリル・ガルビア/
ステフォン・クレポン/ハンナ・シグラ/アマント・オディアール