◎15本目 『卍』
2021/11/05
【あらすじ】
谷崎潤一郎原作。
自分の描いている観音像が、無意識に同じ美術学校に通う光子(若尾文子)に似せて書いていることに気付いた園子(岸田今日子)。
夫がいる身でありながらも、園子は光子と次第に親しくなっていき…。
路子
短い間に3回観た人がここにいます!
(笑)。
母は読んでいたかもしれないのですが、私は、谷崎潤一郎の『卍』って読んでいないんです。映画との大きな違いはありますか?
母は読んでいたかもしれないのですが、私は、谷崎潤一郎の『卍』って読んでいないんです。映画との大きな違いはありますか?
りきマルソー
路子
ううん。全然違うというところはなかったと思う。
この間、路子サロンで谷崎をテーマにしていた時、『卍』の話は出ましたか?
りきマルソー
路子
『卍』の映画を観たという話は出ていたけれど、『痴人の愛』のナオミで盛り上がってしまったので、そんなには出なかったの。
アマゾンプライムで見つけた時に、観たいなって思ったんです。というのも、岸田今日子に興味があって、彼女が書くエッセイなどは読んでいたのですが、作品は観たことがなかったんです。むしろ、その当時は吉行和子が好きだったので、吉行和子の友人のひとり、という意識の方が強かったです。テレビなどでは観ていましたけれど、演技をしている姿はあまり観たことがなくて、映画でちゃんと観たのが今回初めてなくらいでした。
とにかく顔のインパクトが強いつよい。
とにかく顔のインパクトが強いつよい。
りきマルソー
路子
凄かったわね。私は岸田今日子を久しぶりに見て、今の女優さんって女優さんじゃないって思ってしまったの。
昔の映画って若干嘘くさい演技みたいなのがありますけど、迫力というか、なんというか、今の人ってちょっと浅いというか。
りきマルソー
路子
前にも話が出たかもしれないけれど、手の届かない存在ではなく、何処にでもいるような人が人気であるように、演技もナチュラルにする傾向があるから、そこに非日常がないのよね。
路子
今日『卍』を観て思ったのは、芸術の一つの形があるというか、これをカタルシスと言ってはいけないけれど…。
茨木のり子が、自分が芸術作品かそうじゃないかを判断する基準は、そこにカタルシスがあるかないかだと、言っているの。カタルシスとは浄化作用のことだからイメージが違ってしまうけれど、ある意味のカタルシスがあるんだって思った。何がそうなのかと思うと、やっぱり「異物」。日常にポコンと飛び込んでくるような「異物」がこの映画や原作には確実にあったわよね。凄くクレイジー。
茨木のり子が、自分が芸術作品かそうじゃないかを判断する基準は、そこにカタルシスがあるかないかだと、言っているの。カタルシスとは浄化作用のことだからイメージが違ってしまうけれど、ある意味のカタルシスがあるんだって思った。何がそうなのかと思うと、やっぱり「異物」。日常にポコンと飛び込んでくるような「異物」がこの映画や原作には確実にあったわよね。凄くクレイジー。
路子
小説の中ってレズビアンのシーンが一度も出てこないの。絡みとか、乳房をとか、足をみたいな描写は全然出てこない。だから見方によっては、このふたりには肉体関係があったの?無かったの?どっち?と、思うかもしれない。
りきちゃんはどういう風に感じた?
りきちゃんはどういう風に感じた?
プラトニックさも感じました。キスをするとか抱きしめる、というシーンはあるけれど、行為をするとかではなく、お互い相手を見るだけで気持ちが昂るし満たされている。
りきマルソー
路子
そういう風に描かれてはいるけれど、実際はあるわよね? だって一緒に寝てるのよ?
たしかに。
『卍』って何回かリメイクされていますよね?
『卍』って何回かリメイクされていますよね?
りきマルソー
路子
うん。樋口可南子のとか。
そっちの方がセックスシーンがバンバン入っているっていうのはネットで見ました。
りきマルソー
路子
だからやっぱりあるのよ。でもそれを敢えて描かないところがまた良い。
路子
サガンが「愛の行為をするのは好きだけれど、愛の行為を書くのは好きじゃない」と、言っていたの。自分の文学としては、そこを書く必要がないでしょう?って。
敢えてそのシーンを入れなかったのは、時代的に入れられなかった、という理由もあるかもしれない。同性愛というだけで物凄いタブーだから。だけどそのシーンがないことが、また「異物」だと思うの。そのくせ「もっと裸見せろ」とか大胆なことを言う(笑)。シーツびりーって破ったりして。いきなり狂気から入るものね。あのくらいの相手への興味や想いは大恋愛にしかないけれど、あんな想いを経験できる人は、一生かけても世の中にはそんなにいないと思う。
敢えてそのシーンを入れなかったのは、時代的に入れられなかった、という理由もあるかもしれない。同性愛というだけで物凄いタブーだから。だけどそのシーンがないことが、また「異物」だと思うの。そのくせ「もっと裸見せろ」とか大胆なことを言う(笑)。シーツびりーって破ったりして。いきなり狂気から入るものね。あのくらいの相手への興味や想いは大恋愛にしかないけれど、あんな想いを経験できる人は、一生かけても世の中にはそんなにいないと思う。
路子
若尾文子が演じている光子が可愛くて小悪魔なのだけれど、完全に岸田今日子の前に姿を消してしまってる! あんなに可愛くて、彼女がメインなのに。
あっ、そうなんですか? 私、岸田今日子がメインかと思っていました。まあ、よく考えればそうかあ…。
りきマルソー
路子
岸田今日子も語りだし、メインではあるのだけれど、光子が全てを起こしているからね。園子は、光子を取り巻く何人かのひとり。凄く魅力のある女性として描かれているのは光子のはずなのに、完全に存在を消されちゃってる感じがするわね。
舞台あらし!
りきマルソー
路子
舞台あらし!! それって北島マヤみたいな感じですか?(笑)。
路子
そう考えると原作と違うと思うところは、園子が原作よりも。
より濃い。
りきマルソー
路子
凄く。
原作では何歳くらいの設定なんですか?
りきマルソー
路子
結構若いと思う。
映画を観ていると、たまに子どもっぽさを感じるんですよね。
りきマルソー
路子
昔だから、結婚も早かったと思うの。だから20代の半ばくらいかしら。
園子が旦那に言い詰めるのは、彼女は婿を取ったっていう意識からなんですか? それとも彼女の元々の性質なんですか? イメージでは、その時代の人って旦那の3歩後ろをって感じですが、園子は全く違う。寧ろ現代にとても合っている感じがしたんです。
りきマルソー
路子
夫婦間の間で女が強くてというところね。それはあるかも。多分、谷崎のM的志向がそこにある。
光子は『痴人の愛』のナオミと一緒。本当に谷崎さんが好きな悪女。奔放で魔性な女。ああいうのに翻弄されるのが大好き。踏まれるのも好きな人だから、だからやっぱり描き方はそういう風なのが多くなる。クレイジーさで言うとナオミの方が抜きん出るけれどね。だから路子サロンでもそちらをメインに扱ったけれど、光子も似てる。すぐバレるような嘘をつきながら、周りは騙されているフリをしないと彼女を失ってしまうからそれに付き合う。
光子は『痴人の愛』のナオミと一緒。本当に谷崎さんが好きな悪女。奔放で魔性な女。ああいうのに翻弄されるのが大好き。踏まれるのも好きな人だから、だからやっぱり描き方はそういう風なのが多くなる。クレイジーさで言うとナオミの方が抜きん出るけれどね。だから路子サロンでもそちらをメインに扱ったけれど、光子も似てる。すぐバレるような嘘をつきながら、周りは騙されているフリをしないと彼女を失ってしまうからそれに付き合う。
そういうシーンありましたよね。
りきマルソー
路子
お腹痛いいたい!っていうシーンね。
路子
痛いいたい!!(笑)。
痛いいたい!!(笑)。
りきマルソー
路子
ギャグなのかどうなのか。
だから当時観た人の感想を知りたい。今こうやって観るとギャグに見えるけど、当時もそういう風に観ていたのか、違う風な感想だったのか。凄く知りたい。結構ツッコミ所が多いじゃないですか。職場の人とも話したり真似してたんですけど。
りきマルソー
路子
どこでどこで? 痛いいたい?
そうそう。あとはシーツ取られたりするところ、破いたり、枕を破いて羽をバサバサ出したり、首の角度とか。
りきマルソー
路子
すぐに死ぬしぬ言うし。一緒に死んでくれる?とか。情死が流行っている訳ではないけれど、一緒に死ぬというのが、一つの愛の形としてあったものね。
でもそれが美しいとされていた。
りきマルソー
路子
うん。
「殺して」ってみんな言いますもんね。
りきマルソー
路子
死が近いわよね。
路子
あとは同性愛に対してのアンモラルな部分や時代もあるけれど、日本はやっぱりキリスト教の国じゃないんだと思った。あの物語の中に観音様とか菩薩様は出ているけれど、神は不在。例えば西洋のキリスト教文化で時代が前だと、何かいけないことをした時には神様に申し訳ないというか、背くという意識が出てくる。でも綿貫(光子の彼氏)が柿内(園子の夫)に兄弟の契りとかの話を暴露した時に、園子は世間に顔向けできない、死なせて頂戴みたいなことを言うのよね。私の大嫌いな「世間って誰?」と、いうところをついてきたから、「THE 日本」という感じがして凄く面白かった。世間に死んでお詫びをするみたいな考えは、日本は本当に神が不在で、世間なんだというのが、あの場面に表れていたと思う。
誰一人として罪悪感を感じてないんですよね。あの時代で同性愛とかに対して、多少はあるにせよ強く責めたり責められたりっていうのがないし、している本人達も巻き込まれる人も、自分のやっていることに罪悪感を全く感じていないのが凄く面白かったです。
りきマルソー
路子
感じてない、確かに。
後ろめたさとか、一般的に旦那がいるのにとか。
りきマルソー
路子
でも私思うの。時代が前過ぎて、同性愛が同性愛者じゃない人にしてみればファンタジーなんじゃないかしら。リアルじゃないのよ。だから周りも騒がない。女同士で…みたいに面白半分で騒ぐけれど、それがどういうものなのかとか本当にそういうことは…。
路子
あるのか。
あるのか。
りきマルソー
路子
女同士でセックスってどうやるのかとか。旦那さんがいて他の男に会っていれば大問題になるところを、女性とだと問題にならない。旦那さんも光子と会うのは止めてくれとは言うけれど、ちゃんと分かっていない。
あやふやなんですよね。
りきマルソー
路子
凄いあやふや。本当に仲良しなお友達という描き方もされてはいるけれど、他のシーンでも同性愛の噂を立てるぐらいだから。学校内の場面でそういうシーンはあまり出てこなかったけれど、「あのふたりってそうなんじゃないの?」と、いう噂話はあったはず。だけど多分みんな分かってないの。今は同性愛は当たり前だし、それを嫌う人はリアルにあると分かった上で嫌う。でも映画の中はそういう感じではない。やっぱりファンタジー。原作でも映画でも、セックスシーンを出さないことによってそれがもっと際立つ。美しい同性の友情以上?みたいなのが描かれていますみたいな感じかしら。これを中山可穂が描いたら濡れぬれのシーンで、大変なことになると思う。
路子
私は着物事件の後に旦那さんのところに戻って、「うちの心にちょっとの隙も出来んように、いッつも、いッつも、可愛がりつづけに可愛がってくれなイヤやわ」と、せがむシーンの台詞が好き。
やっぱり原作読んでみたいです。日本映画って苦手なんですが、『卍』を観たら昔の日本映画なら観られるような気がしました。だから『Wの悲劇』とかも観てるのだろうし。
昔、ゲイ雑誌にオカマが好む映画特集みたいなのがあって、『卍』が載っていたような気がします。だから観たかったのかも。あとは『吉原炎上』や、小川眞由美出演の映画とか。どれも確かに面白そうでした。恐らくツッコミどころ満載の作品が多い。
昔、ゲイ雑誌にオカマが好む映画特集みたいなのがあって、『卍』が載っていたような気がします。だから観たかったのかも。あとは『吉原炎上』や、小川眞由美出演の映画とか。どれも確かに面白そうでした。恐らくツッコミどころ満載の作品が多い。
りきマルソー
音楽も凄く良かったですよね。
りきマルソー
路子
日本映画っぽくない音楽だったわよね。
ずっとピアノとか。
りきマルソー
路子
不協和音っぽい弦楽器が入っていたりだとか。
『赤線地帯』という映画を観たことがあるんですけど。
りきマルソー
路子
『赤線地帯』とか『吉原炎上』とかばっかりじゃないの(笑)。
(笑)。
それも不協和音が流れる感じでした。
それも不協和音が流れる感じでした。
りきマルソー
路子
私も嫌だとか言いながら『赤線地帯』観たような気がする。
『卍』って、どのシーンでも音楽が流れ続ける感じですよね。だから観やすかったのかな。
りきマルソー
路子
日本映画ってそんなに音楽流れてない?
最近はどうだか分からないのですが…。少ないと思います。
りきマルソー
私、苦手なんです。日本映画の中で、音がなく、台詞もない、本当に「シーン」っていうのが聞こえる場面が本当に苦手で、心地悪い。『卍』はそれが全然感じられなかったし、短期間で3回も観られたのも凄くスピーディーだったからだと思います。1時間半だから短いというのもありますけれど、無駄なものがない。語りで進んでいくのもとても良かったし、舞台化して観るのも面白いんじゃないかと思いました。
りきマルソー
路子
あと私、光子がやっていたあの時代の髪型とかファッションが好き。
こう、もりっとしたのですね。
りきマルソー
路子
盛りたーい!
頭が大きいからずっと首を傾げている訳ではないですよね?
りきマルソー
路子
違うわよ(笑)。
盛りもりのボリューミーなのが好き。ジャッキーとか、私の母の新婚旅行の写真は、盛りもりなの。
盛りもりのボリューミーなのが好き。ジャッキーとか、私の母の新婚旅行の写真は、盛りもりなの。
あれはケープみたいなもので固めているんですか?
りきマルソー
路子
そう多分。あとはウイッグとかも流行っていたし。うちにもウイッグの入れ物があったのを覚えてる。ぺったんこではなく、とにかく盛る。パーマかけよっかなーって思ったくらい好きだし、ワンピースとかもロマンティック。
背中がちょっと開いて模様が入っているのもありましたね。
りきマルソー
路子
あったあった。あとは、ベージュの生地が胸部分にかかっていて、胸が開いているように見えるけれど見えないワンピースとかが凄く可愛かった。あの時代のファッションは綺麗だし、見ていて楽しい。着物や白い襦袢のシーンも凄く綺麗だった。
路子
本といい、映画といい、何がエロティックかってタイトルよね。
本当にぴったりですよね!
りきマルソー
路子
『卍』ね。「まんじ」という字ではなくてね。このタイトルが一番エロティック。全てを象徴している。上手いね、谷崎先生!
本当にこの映画を観て読みたくなった。
りきマルソー
路子
読みやすいわよ!
難しいと思っていたんです。
りきマルソー
路子
是非、『痴人の愛』も読んでみて。ツッコミどころ満載よ。光子をパワーアップさせたのがナオミなので、本当に面白い。
私、光子を悪女だとは思わなかったんですよね。というのも、ああいう終わり方をしたじゃないですか。
りきマルソー
路子
うんうん。そうね、だから清純よね。本当に菩薩。死んでしまったんだものね。
本当に悪女なら。
りきマルソー
路子
自分だけ生き残るものね。
そうそう。と思ったので、悪女とは違う。現代的に言えば小悪魔的要素はあるけれど、それともちょっと違うような。
りきマルソー
路子
愚かなのかしら?
溺れてしまって、周りが見えなくなり、計算も出来なくなる。でも自分なりに小賢しい計算をしているけれど、いわゆる世の中を上手く渡っていく方に行かない。だから愚かなのよ。頭の悪い愚かさがとても可愛い。計算高いくせに上手く出来なくて、結局自分が死んでしまう。
溺れてしまって、周りが見えなくなり、計算も出来なくなる。でも自分なりに小賢しい計算をしているけれど、いわゆる世の中を上手く渡っていく方に行かない。だから愚かなのよ。頭の悪い愚かさがとても可愛い。計算高いくせに上手く出来なくて、結局自分が死んでしまう。
でもそれはたまたまなんですかね? わざとなんですかね?
りきマルソー
路子
彼女はその時その時でベストを尽くしていて、自分の幸せや自分のことだけを考えて、一生懸命に行動しているだけだと思う。
死は幸せ?
りきマルソー
路子
幸せとまではいかないけれど、死は絶対に避けたいものではないということかしら。
終盤のように、実際に園子のような立場だったら凄い嫌ですよね。凄い嫌ですよねの一言で片付けちゃうのはあれですけど。
りきマルソー
路子
何が一番嫌?
園子もラストの語りで話していましたけれど。
りきマルソー
路子
自分が後追いして死ななかった理由?
そうそう。
りきマルソー
路子
切ない!
切ない!
りきマルソー
路子
でも結局信じられないのよね。最後まで騙されてるんじゃないかって思って。あそこは本当に切ない。後追い出来なかった理由がそれだなんて。
しかも更にその後みたいなのがなく、終わるじゃないですか。「完」という字と共に。
りきマルソー
路子
原作も同じ終わり方。
路子
そういえば『卍』に関しては聴き取りにくいっていうのがなかった。
ああ、なかったです。ネットで見た情報では、谷崎が関西に行った時に関西弁の美しさに惚れて『卍』を関西弁で書いたってありました。
りきマルソー
路子
そうそう。
若干、エセ関西弁みたいだと思うし、私達も関西弁は分からないけれど、それでも聴き取りやすかったです。
りきマルソー
路子
昔の日本映画ってやたら女の人が「(真似をしながら)どうしてそんなことなさるの?」みたいに。
ああ、ちょっと早口になりますよね!!(笑)。
りきマルソー
路子
そう。「(さらにを真似しながら)私、そんなこと言ってなくてよ」みたいなのばっかりで、それにとても違和感を感じていたの。
ありますね。
りきマルソー
路子
何で昔の日本映画ってこういう話し方をするんだろうって。それこそ小津安二郎の作品を観ていても、「(またまた真似をしながら)私はそんなことなくてよ」とか。
テープの速さの違いとかですかね?
りきマルソー
路子
巻いてしまっているのかしら。あとは黒沢映画とかを観てると「わぁーわわぁー!」って男の人が叫んでるのが聴き取れなくて、字幕が欲しいくらい。よっぽど英語とかフランス語の方が字幕があるから良いわって思ってしまう。そういうのが聞き取れないから日本映画は嫌だっていうのが、この作品にはなかった。岸田今日子の声なのに。
ねっ!
りきマルソー
路子
岸田今日子の声なのに!!
岸田今日子の声なのに!!
りきマルソー
路子
岸田今日子って昔からいつでも目が離せない人だったし、彼女の朗読とかを聞くのが好きだけど、本当に素晴らしい女優ね。この人昔から老けてるわよね?
(笑)。
若くも見えますけど、所々晩年と同じ顔だわって思ってました。
若くも見えますけど、所々晩年と同じ顔だわって思ってました。
りきマルソー
路子
そうそう! えっ?これいくつってね。昔から老けている人なのね。これは本当に岸田今日子が持っていってしまった映画という感じがしますね。何で『卍』を観たいと思ったの?
最初に話したように、アマゾンプライムで見つけたというのと、岸田今日子に興味があったっていうのは大きいです。あとは、最近若い女優さんが「岸田今日子さんみたいな女優になりたい」と、いうのを見たのも重なって(小島藤子さんという女優)。こんな若い子が岸田今日子知ってるんだって。
りきマルソー
路子
よいこの映画時間初の。
日本映画が。
りきマルソー
路子
『卍』(笑)。
『卍』(笑)。
りきマルソー
路子
宜しいんじゃないでしょうか(笑)。
~今回の映画~
『卍』 1964年7月 日本
監督:増村保造
出演:若尾文子/岸田今日子/川津祐介/船越英二