路子先生との時間

「山口路子ワールド」公式サイトオープン!

2017/02/21

「いつも明るいよね」「悩みとかなさそうだよね」
他人からみると、わたしはかなり能天気にみえるらしい。いまでは好きなこと・ひとに囲まれて、精神的に充実した日々を過ごしているが、これは3年前のわたしには、想像もできなかったことだ。

結婚式のパーティーで、ダーリンがサプライズでくれた手紙に、むねをさす一文がある。

「わたしなんてどうせ野垂れ死にするんだ」
付き合ったばかりの頃、彩はよくそう言っていたね。
あの頃の彩は、考え方も生活スタイルも、どこか不健康で世捨て人みたいな雰囲気があって、
輝いていたけどどこか寂しそうに陰っていて魅力的ではあったけど、正直とても心配でした。

まさに当時のわたしをとらえていて、今でも涙がでそうになる。
20代なかば〜後半のわたしは、自分の存在意義がわからず、将来もみえず、ただ他人が羨ましくみえて、そんな自分が醜くて、とにかく生きるのが辛かった。

そんなとき、作家の山口路子先生に出逢った。
社会人2年目の24歳、「この仕事、わたしにあってないかも……」と仕事に疑問をいだいていたものの、ほかにやりたいこともなく、自己啓発本やビジネス書をよみあさっていた時期だった。
当時読んだ本の内容はほとんど忘却のかなただが、数少ない印象に残っている本が、藤田尚弓さんの『悪女の仕事術』。この本のなかに書かれている「悪女」になりたくて、藤田尚弓さんに会いにトークショーにいった。
テーマは「山口路子氏と語る「サガンという生き方」~サガントーク・破滅を受け入れる女のエレガンス with藤田尚弓氏」。そう、藤田さんの対談相手が路子先生だった。

ひとには光と陰の部分があって、人生のステージごとでその強さはかわるとおもう。
あの模索期には、わたしのなかの陰の部分が強かった。そして同じ匂いをもつ人にであうと、共鳴するものなのだろうか。わたしは路子先生に惹かれた。あんなに美しくて華やかなのに、どこか陰があって、はかなげで、ふっと消えてしまいそうで……それがますます彼女の魅力を引き立たせていた。

著書をすべて読み、その世界観にどっぷりはまってしまった。路子先生の文章は、ただ読んで、「あーおもしろかった!」といった性質のものではなく、魂に呼びかける文章だとおもう。当然軽くはない。心身がよわっているときは、心に刺さりすぎて動けなくなる場合があるので、読むには時と場所を選ぶ。
同時に、日々のうのうと暮らしているときにはカンフル剤のような役割もはたしてくれる。「いまの現状に満足していいの?うっかり人生がすぎてない?」と路子先生の声が聞こえる気がするのだ。

ファンになり、イベントに通い、路子先生が主催している「ミューズサロン」の常連になり、いまでは仕事のお手伝いまでさせて頂けるようになった。あこがれの人に近づきすぎるのは、かなり勇気のいることで、路子先生のフェイスブックでお手伝いがほしい、という記事をみたとき、2日ほど悩んだ。
いまでは、「わたし、やりたいです」と手をあげてほんとうに良かったと思っている。
「こんなふうにとしを重ねたい」と思えるひとに、自分の人生でどれだけ出会えるだろう。そしてそのひとのそばで美のシャワーを浴びられることが、どれだけ自分にプラスになっていることだろう。

こうふりかえっていると、2013年10月、『美男子美術館』発売記念トークショーで路子先生が仰っていたことを思い出す。
路子先生は、23歳で「美」の世界とであって「人生にデビューした」ときからの軌跡を振り返り、こういった。
「ふりかえってみて思うのは、『このときこの人にあったから、こうなった』『この人にあったから、今のわたしがいる』というようなひとに出逢うときは、集中して来る」と。

それを、いままさに実感している。
路子先生との出逢いが24歳、わたしに文章を書くことをすすめてくれた人との出逢いが27歳、そして最愛のダーリンと出逢ったのが28歳。
24歳から28歳のあいだに良い出会いを引き寄せすぎたことで、運がつきないといいけれど……笑
いまの路子先生まであと20年くらい。素敵なとしの重ね方ができるかな。未来の自分が楽しみである。

左は2010年、サガンのトークショーにて。右は2016年七夕に、「語りと歌のコンサート」にて。

 

◆ようやく形になりました◆
山口路子先生の公式サイトをつくらせていただきました。
配色やデザインなど、「路子先生らしさ」を大切にした、こだわりのつまったホームページです。

ようこそ、耽美と毒に彩られた「山口路子 World」へ。

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