路子先生との時間

人づき合いに疲れたら手にとる言葉

遠い知人との雑談がどうも苦手だ。

おおぜいの立食パーティーなどでは壁の花になるのがイヤで無理に話し相手をさがす時代もとうにすぎ、今では自然の流れに身をまかせている。
ときおりボランティア精神溢れる人が話し相手になってくれるのだが明らかに相手が気を使っているのがわかると「雑談もうまくできない社会人できそこないですみません」と申し訳ない気持になる。やがて話も一段落するとぎこちない笑みを浮かべては「ちょっと飲み物とってきます」とそそくさその場をさるのだ。

この日もやっぱり心の中でだめ人間宣言をした私は風にあたるためひとり輪を抜け出しプールサイドぎわのベンチに座った。リゾートホテルでのパーティーだった。話し声は折り重なるとどうして文字通り「ざわざわ」と聞こえるんだろうなどと思いながら喧噪と静けさのあいだに身を置く。夜風が心地いい。そして鏡面のようなプールの水をみつめながら、自分がここにいる意味について考える。

人づきあいは苦手。でも完全なる一人もいやだ。 
人との摩擦に疲れて、「もうこのまま仙人のように暮らす!」と思うたびに手にとる言葉がある。

それは去年の夏のこと。映画界で著名な方を囲んで何人かで食事をしたさい私がその人の気に障ることをいって怒らせてしまった。たいしたことは言っていないのだが、地雷をふんでしまったようだった。落ち込む私に路子先生が教えてくれた言葉だ。
先生はアナイス・ニン(先生が敬愛する女性作家)の言葉を引用しながら、人との摩擦から生まれるいい香りもある、といった。

肉と肉とが触れあうところで香水は香り立ち、言葉の摩擦は苦しみと分裂を引き起こす。 知性には干渉されず、殺されず、枯らされず、壊されず、かたちを創ること、 感覚が持つ、たおやかな荘厳さを知ること。 それが、生きて、私が学んだこと。 その香り立つものを尊重することこそ私の芸術創作の掟だ  ーアナイス・ニン

 

じっとして家に閉じこもっていれば、摩擦は生まれず痛みもないけど、 いい香りも生まれない。
それになにかを創作したいと思うなら、摩擦は避けて通れないのだ。

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◆香り立つものを尊重する

 

翌朝の日の出。夢遊病者のように携帯のカメラで撮影し、またすぐ眠りに落ちた。

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