特別な物語 私的時間旅行

7.「そういう人間をほんとにすごいと思った」

2020/04/22

5日目の朝。

私は、佐和子がかけた目覚し時計の音で目覚めた。

おや? なにやら違和感を感じる。身体がもそもそと重たい。
ああ、そうだ。昨夜私はロングコートを着たまま眠ったのだった。

ここは、ストレーザの、寒い寒いホテルの一室。

料金に比例した暖房。一応設置してます、という程度でほとんど効果はなかった。こんなに凍えた夜を過ごしたのは、恵まれて育った私にとって、おそらく初めてのことだったのではないか。

着替えを済ませた私と佐和子は、ホテルの1Fの小さなダイニングで軽い朝食を済ませ、慌ただしくミラノ行きの列車に乗り込んだ。

今日は、ヴェネチアだ。

[ヴェネチアの君]

ミラノで乗り換えて、ヴェネチアまでおよそ3時間。到着は夕方になる。

私たちは意気揚々と列車に乗り込み、荷物を引きずりながら、席を捜した。
列車はコンパートメントで仕切られていて、だから席が空いているのかいないのか、中を覗いてみないとわからない。

そんな時「席、空いてますよ」と声をかけてくれたのが、素敵な男性。

ラッキー。と甘ったるい声を出したくなるような・・・。

そのひとはヴェネチアの大学で英語を教えていて、背が高く、服のセンスもよくて、そして品があった。
当然、会話は英語なので、会話がはずみそうではずまないのが残念なところ。私と佐和子の英語のレベルは、どっこいどっこい(実はこれも二人旅を楽しくする重要なポイントなのであったが)。
深い会話はできない。

話が会いそうなひとと、運命的に(おっと。どうしても大袈裟になってしまう。相手がいい男だと)出会ったというのに!
なんて、悔しがってみせているが、実は、実際彼と会話したのは、ほとんど佐和子なのであった。
私は二人の会話を聞き、窓の景色をながめ、幸福な気分で列車に揺られた。

彼が日本のことを尋ね、佐和子が答え、時々、私に助けを求めて、私はいいかげんに返事をする程度だった。

がんばれい、佐和子よ、と無責任に心の中で応援はしていたが。

その応援が伝わったわけではないだろうが、やがて佐和子が熱心に話し始めた。
カンポ、カンポと言っている。

そしておもむろにバッグからヴェネチアの地図(ヴェネチアまで待てずに彼女はミラノで購入していた)を取り出し、ガサガサと広げると、ペンを添えて彼に渡した。
彼はにっこりとうなずき、なにやら書き込んでいた。
それから、二人でまた話し始めたけど、私はだんだん眠たくなって、ぼーっと空想の世界を漂った。

ヴェネチア。

「旅情」という映画を思い出す。

キャサリン・ヘップバーンが出ていて、けっこう目尻の皺が目立っていて、でもヴェネチアで恋をして、内容はよく覚えていないけれど、列車でヴェネチアに入るシーンと、列車でそこを去るシーンは頭に残ってる。

やっぱりヴェネチアは、りょじょー・・・って感じなのよね。

前来た時は、今度は絶対好きな男と来ようって決めてたけど、好きな女と来たわけだ。

それにしても、コンパートメントってドラマチックだ。

向い側に座るヴェネチアの彼が「あなたに恋をした」と言ったら。
私は了解の微笑みを浮かべ、そしてふたりで寄り添い、霧につつまれた運河のほとりを歩く、やがて、路地に入り、彼が私を抱きよせ・・・。
それで、それから、ああなって、こうなって・・・。
うっとり。(注:この時のポイントは自分が背負っている過去や現在を「なかったこと」にすることである。そうすると、本当にひたれる。こういう人生もある、と本気で思える。これが男抜きの旅行の醍醐味である!)

そうしたらヴェネチアに住んでもいい。自分のやりたいことは日本でなくてもできるのだから。いや、むしろ、ここの方がむいているかもしれない。
だんだん、空想に現実が混ざってくる。

いけないいけない。

現実を追い払わねば。

ところが意志に反して、今度はシンののほほんとした横顔が浮かんでしまった。こうなるともう駄目である。
私は「ち」と舌打ちをした。

そして、やがて眠ってしまった。

目を覚ました時、列車はヴェネチア・メストレ駅に着いたところだった。

次が終点だ。

危ないところだった!
列車でヴェネチアへ! を寝て過ごしてしまうところだったではないか。

私は身を起こすと、窓に顔をぴたとつけて、景色を見渡した。
列車はラグーナ(内海)の中を走る。10数分経っただろうか、やがてヴェネツィアの本島が見えて来た。

ヴェネチア・サンタ・ルチア駅に到着だ。


[そして長い夜が幕を明けた]

 

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<ホテルの窓から。昼から夜へ。最も美しい時間帯>

 

駅を出て、ヴェネチアの君は私たちをヴァポレット(水上バス)の船着き場まで案内してくれた。彼の家は駅から近いので歩いて帰るらしい。
私たちに乗り方を説明すると、ヴェネチアの君は爽やかな笑顔で、去って行った。

ちょっと残念だった。

「あのひととごはんが食べたかった・・・」と佐和子がぽつりと言った。

私は少し驚いた(佐和子は男性への気持ちをあまり言わないので)が、特に何も返さず、ヴァポレットに乗って、サン・マルコ広場で降りて、予約していたホテルに入った。

その日はほとんど動いていないため、お腹がすいていなかった。

私たちは近くの店で、地ワインと、それから野菜と果物とチーズ、クラッカーを買ってホテルへ戻った。今夜のディナー・メニューである。

スツールの上に佐和子がバンダナを敷いて、ワインと食べ物を並べた。

ベットに腰を下ろし、乾杯をした。

500円くらいの安いワインなのに、なんとも美味しい。酸化防止剤が入っていないからだろうか。

「ああ、私、ヴェネチアにいるのね! ああ、ヴェネチア!」と、佐和子が高らかに叫んだ。
何かにとりつかれたような恍惚の表情である。

佐和子は今回の旅行でヴェネチアを一番楽しみにしていた。
すべてをヴェネチアにかけている、と言っていた。それはどうやら、ミラノで大木泉さんを訪ねた時に仄めかした「水」と関係があるらしい(→4「チャンスをつかむ準備はできているか」参照)。

「ねえ、何で、そんなにヴェネチアなの? 話してくれる?」と私は佐和子に言った。

「長くなるかも」

「いいよ。聞きたい」

私は、わくわくして、身を乗り出した。

 

[佐和子の話]

 

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<酔う前。水のそばだから?よい表情です>

 

私はね、水のそばに住む必要がある、と思っている。

それはなぜなんだろう。

そうだなあ、まず、オランダありき、だな。

オランダという国にシンパシーを感じて、オランダと関わりたいことと日本史を学びたいことをつなげて、大学時代ね、自分の専門にした。

オランダは運河がめぐる国でしょう?

ちょっと唐突だけど、東京の佃、月島に遊びに行った時、オランダに風景が似ていると思ってね、2年間、佃の長屋に住んだ。
毎日自転車で勝鬨橋を渡って、会社に行った。

魚座だから、だけじゃないよね。

水のそばに住んで、生活が水とともにあった佃の生活が、私にはとても心地よかった。

だけど、私は仕事をやめて、実家の所沢に戻った。水から離れてしまって、とても水に飢えている状態だったわけ。

それで、ヴェネチアだけど。

前の仕事・・・研究所で、一緒に仕事をしていただいた陣内秀信先生が、心から愛していたのが、ヴェネチアだった。彼が目を輝かせながら語るその話に私はすっかり魅了されてしまって。
それから、ヴェネチアをすっぽり包むラグーナ(内海)には、海に立つマリア像があると聞いて、ぜひ向かい合ってみたいと思ってた。

ここに、(と、佐和子はバッグから一冊の新書を取り出した。陣内秀信著『ヴェネツィア 水上の迷宮都市』である)陣内先生の本を持ってきているけど、たとえば、こんなことが書いてある。

「ラグーナという水に囲われた【自然】そのものの環境の中に、すべて外から運んだ材料で、とことん【人工】の都市空間を築き上げた」・・・ちょっと省略して、
「美しい都市をつくろうとする人間の意志を、これほどまでに強く感じさせる例を私は他に知らない」

これを読んで、私は気付いた。
オランダとヴェネチアの共通点に。

オランダには「世界は神が造った。オランダはオランダ人が造った」という言葉があるんだけど、まさに、海抜0メートル以下の低地を、水と共存しながら、豊かな土地を作り上げたところなのね。

オランダに旅した時、「人工」とは美しいものなんだ、日本のように「自然」の反対語ではなく、偉大な自然の前に敬虔にぬかづきながら、人間の知恵をもって、よりよい空間を作り出すことなんだ、って実感した。
それで、そういう人間をほんとにすごいと思った。

ヴェネチアも同じなのだと思って、とても惹かれたのだと思うよ。

なんだかさあ。
水がそばにあると、自分の想いがあふれんばかりに湧き出してくる感じがするんだよねえ。なぜか。

花をいけているのも、水がやっぱり関係してる。
花で何が大事かって、草花が存分に水を吸って生き生きしている状態を維持させること。
水が上がっているか、それに最大の注意を払う。
器に活ける段階はほんの一瞬のことで、それまでの下ごしらえが作業のほとんどを占める。

私は花が水を吸い上げてくれるか祈るような気持ちで、水揚げしている、いつも。
・・・うん、同時に自分も・・・水揚げしているのかもしれないね。

 

[そして興奮はピークに]

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<佐和子の話に酔った夜でした>

私は、お金を払いたい、と思った。
タダでいいのだろうか、こんな話を聞いて、タダで? 世の中間違ってる。

「飲んで」と、私は佐和子のグラスになみなみとワインを注いだ。

佐和子は美味しそうにそれを一口飲んで、「本当に、幸運だったなあ」と言った。

私は彼女の次の言葉を待つ。

「ヴェネチアが近づくにつれて興奮で身体がしびれたようになっていたからさ、ヴェネチアに住んでいる人と話ができて、ほんっとに、嬉しかったよ。
船着き場まで一緒に来てくれて、優しいヴェネチアの男性が案内してくれたその先に、陣内先生の本やら塩野七生の『海の都の物語ヴェネチア共和国の一千年』やら地図を見ながら夢想していたヴェネチアが、カナル・グランデ(大運河)が、目の前に広がって、舞台の幕が切って落とされたとばかり、興奮はピークに達したよね」

「そっかあ。じゃあ、ごはんを一緒に食べたい、って思ったのも、彼がヴェネチアに住む人だったから?」私は尋ねた。

「そうだよ」

あったりまえ、といった感じで佐和子は言った。

私は笑ってしまった。

「なにかおかしい?」

「いやいや、あなたらしいと思ってね。あの船着き場で、ごはんを一緒に、ってあなたが言った時、男として興味を持ったのかな、って思ったからさ」

「違うよ、ヴェネチアに住んでるひとだからだよ。でもま、ヴェネチアに住んでいるというだけでも、惚れる理由にはなるな」
さらっと、言う。

私はひとしきり、くくく、と肩をゆらして笑って、それから尋ねた。

「ところで、何の話、してたの? 何か地図に印をつけてもらってたじゃない」

「ああ、あれはカンポだよ」と、佐和子は地図を取り出し、説明を始めた。

「ヴェネチアには、運河で囲われた小さな島のそれぞれにカンポと呼ばれる広場があって、そこには必ず教会があって、この広場が人々の暮らしの重要な場になっているんだって。市場がたったり、子どもの遊び場であったり、飲み水の供給の場であったり」

「ふーん。続けて」と、私。

「前の仕事、研究所で都市論や都市史の研究会に関わっていたから、人が生きる空間に、とても興味があるんだよね。
ヴェネチアにはね、80ものカンポがあって、それぞれに特徴があるって聞いていたから、あの彼に好きなカンポを聞いたの。彼は自分が住んでいるあたり、観光客はあまり来ないけど、いいカンポがあるよ、って言ってた。ほら、ここに印してくれてる」
私は佐和子から地図を受け取り、彼が印をつけたところを見た。

Campo S.Margherita(聖マルガリータ広場)と Campo S.polo(聖ポロ広場)。

自分が好意を持つ人の興味や興奮は伝染するものである。
私も次第になにやら高揚してきた。
明日からのヴェネチアの日々を思うと心が浮きたつ。

ワインはそれほど飲んでいないのに、かなりハイになってきている。

果物も野菜も、ほとんど食べてしまって、私は佐和子に提案した。

「あのケーキ、食べようか」

「いいね!」と佐和子は笑った。

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<私はこのようにバンダナを敷いたりはしない。
ささやかだけれど佐和子の美意識をかんじる>

 


[ヨーロッパの小さな町のクリスマス]

私はスーツケースにぶら下げていた袋から小さなケーキを取り出した。

円形のシンプルなスポンジケーキ。

サビーナとリカルドが別れる時に、私たちにひとつづつプレゼントしてくれたのだった。

「ああ、静かなるオルタ湖、静かなる恋人たちよ!」と佐和子がおどけて言う。

「つい昨日のことなのに、遠い昔のことのようだ」と、私。

「あの風景を思うと、鳥肌がたつよ。幻想的、とはまさにあのことでしょう。それにしても、あったかい、ふたりだよね」と、佐和子。

佐和子の「あったかい」という言葉に、私はある事を思い出す。
ひじょうに唐突ではあるが、それはこんな話である。

私の友達で、とても物静かで、言葉づかいも丁寧で、人の気持ちをいつも気遣っている人がいた。
周りも彼女のことを優しい人、と見ていて、私もそれを疑わなかった。

でも、彼女の真ん中には近づけないというか、近づきたくないと思わせる「何か」があり、いったいそれはなんだろう、と自分でも不思議だった。

ある時、二人でお弁当を買いに行った。

しばらく待たされて、私たちは他愛のないおしゃべりをしていた。
その時彼女はうつむいて、私の話に相づちを打っていた。

私はふと、彼女の目線の先、彼女の足下を見た。そして彼女がしていることに気づいた時、背筋がぞっとした。

彼女は私の話に微笑んでうなずきながら、蟻を、一匹ずつ、踏んでいたのだ。その辺りには何か甘いものがあったのか、かなりの数がいて、それを彼女は一匹ずつ、次々とつぶしているのであった。

それを見て以来、私には彼女が空恐ろしくて、彼女がどんなに心優しいことを言っても、でも、あなたは蟻をつぶしていた、と思ってしまうのだった。

私は佐和子にそのような話をして、「それでだ、サビーナとリカルドは蟻をつぶさないだろう、って思ったの。あなたの、「あったかい」という言葉がなぜか私に蟻物語を思い出させたよ」と言った。

うんうん、と佐和子はうなずいた。

しばし、私たちは無言になった。

やがて佐和子が言った。

「サビーナとリカルドって、たたずまいの美しい人、だよね。船越桂の彫刻のよう」

私はうなずき、佐和子は続けた。

「それで、サビーナも言ってたけど、今はアドヴェンドなんだよね」

「アド?」

「アドヴェンド。待降節。イエス・キリストが誕生する日、クリスマスまでの4週間。2000年前、暗闇から生まれた希望の光、その喜びの日までの一日一日、心静かに感謝して過ごす日々。
ミラノではまだ感じなかったけど、オルタ湖の町、小さな町がクリスマスを待ち望んでいる、星の形のイルミネーションをつけて、町がクリスマスを待っている、そんな風に感じた」

「日本のクリスマスとはまったく違うね。言うまでもないけど」

「そう。日本のはまったくの商戦のイルミネーションだよ。
あそこにあったのは、小さい頃家でつくったクリスマス・ツリーのいっとう先にちょこんとのせたきらきら星みたいな、素直な願いと希望みたいなイルミネーション。

寒かったけど、凍えなかったのはあのイルミネーションがあったからだと思う。

・・・ああ、アドヴェントなんだな、と思った。

日本にいるクリスチャンは本当のとは少し違う、日本独自のクリスマスという文化に囲まれてしまって、心静かにアドヴェントを過ごす、とはいかないことが多いから。

サビーナがケーキをくれたように、そんな気持ちをまわりの人々と交わせる、あったかいクリスマスがヨーロッパには、特に小さな町にはある、ってしみじみ思ったよ、私は」

少し目を伏せて、佐和子は言った。

私はまた思ってしまう。

タダでいいのか、と。

せめて、と彼女のグラスになみなみとワインを注ぐ。

そして夜は更け、ワインはまわって、でもまだまだ話したくて、だから眠くならなくて、ハイの状態で、私たちはヴェネチア第一夜を過ごしたのであった。

 

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<ホテルの窓から。酔っぱらって撮った>

 

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