6.「普遍的なものを、わたしも」
2020/04/22
[ああ、空気がおいしい]
頭痛とシン・シックをかかえた私、“静かな恋人たち"サビーナとリカルド、そしてミラノを離れてからつきものが落ちたように爽やかな表情を浮かべる佐和子の計4人が車を降りたのは、ストレーザから約30キロのモッタローネ(mottarone)の山頂だった。
スキー場でもあるそこは雪に覆われていて、だからか、空気はいっそう澄んで、きりり、と音が聞こえるようで、そして、マッジョーレ湖やアルプスの山々のみごとなパノラマが広がっていた。
空に浮かんでいるようだった。
<こんなところにいたら頭痛もふっとびます>
ここから数分歩いたところに、北イタリアの郷土料理が食べられるレストランがあるという。
私たちはしばらく大自然の眺望を楽しんで、それからレストランへの道を歩き始めた。
空気がおいしい。とはまさにこのことをいうのだと思う。
東京から数時間の湖畔や草原とは比べものにならない。
口を大きく開けて、空気を食べてみる。
ああ、ほんと、おいしい。
ふりかえって、私の後を歩く佐和子に「ねえ、おいしいよねえ」と言ってみる。
すると佐和子、「うん、おいしい、おいしいよう」
わけもなくふたりで、ふふふ、と笑いあって、そしてまた深呼吸して、ああ、おいしい、と口に出してみて、微妙な距離をあけて歩く恋人たちの後ろをゆっくりと歩いているうちに、私の頭痛は少しずつやわらいでいった。
お目当てのレストランはまさに「山小屋」であり、私たちのほかに客はいなかった。
そして恋人たちがオーダーしてくれたおすすめの郷土料理は、ものすごいボリュームの、そして私たちが「イタリア料理」と聞いて想像するのとはまったく違った、肉、肉、肉、プラス、大きなボールにたっぷりと盛られた黄色のマッシュポテトのようなもの、それとくたくたに煮られた野菜、であった。
「この黄色いのは何?」と私はサビーナにたずねた。
「ポレンタといって、トウモロコシの粉でできたものです。日本のお米のように、こちらでは食べられています」
口に運んでみる。特に味はないが、食感はいい。マッシュポテトよりコシがあって、私はもともと粉関係の食べ物が好きなこともあって、このポレンタはとても気に入った。
「それにしてもなんだかイメージがちがうなあ」と私は言った。
「あたしたちがイタリア料理、ってきいてイメージするのは南イタリアの料理なんだよね」と佐和子。
「ここは山ですから。野菜も生はないんです。みんなこんな風に煮てあって、肉と穀物が中心ですね」とサビーナ。
「そうかあ。寒いところだから、寒さに強い身体をつくるための食事なんだね」佐和子がうなずきながら言った。
私は肉が苦手であったが、ものめずらしさもあってかなりの量を食べて、ごはんのようにポレンタをほおばった。
[キッチン、とても人気があります]
ところで、サビーナは日本の地方都市の役所で働いている。大学では日本語と日本文化を専攻していたという。
「なぜ、日本なの?」と私はたずねた。
「日本が好きなんです。日本のものに惹かれるんです。小説にしても絵画にしても」
「それでは日本の小説家で好きなのは?」
サビーナは少し考え、何人かの文豪の名を挙げて、それから「吉本ばなな」と言った。
意外に思って、「え?」と首をかしげると、「とても人気があります。ファン、多いですよ」と言う。
「へえ」と、身をのりだす佐和子。
サビーナは続ける。
「キッチン、とても読まれてます。私も感動しました。簡単な文章、ストーリーがいいですね」
確か、『キッチン』がベストセラーになったのは随分前のことだ。私も読んだ。大学を卒業して間もない頃だったと思う。
とても読みやすく、ひとつひとつの言葉が心にしみた。まだ文章を書くなんてことを考えてもいなかった頃だけど、すごいひとがあらわれたもんだ、と驚いたのを覚えている。
私は『キッチン』よりも、その中に収められている、吉本ばななが大学卒業時に書いたという「ムーンライト・シャドウ」が好きだった。
何度も何度も読んだ。そしてそのたびに泣けた。
本当に、何度も読んだので、「ムーンライトシャドウ」は私の“くりかえし読む本リスト"に加わった。
このリストには、泉鏡花の「外科室」、カミュの「異邦人」、サガンの「ブラームスはお好き」などが並ぶが、なかでも「ムーンライト・シャドウ」はいつ読んでも大泣きしてしまう希有な小説である。
佐和子がポレンタをつつきながら言った。
「彼女の作品にはなにか普遍的なものがあるのでしょう」
サビーナが大きくうなずいた。
普遍的なもの・・・・・・。
[大切なツボ]
サビーナはリカルドに話の内容を通訳している。
途中、何度か「ヨシモトバナナ」が出てきて、リカルドの表情がぱっと明るくなり、うんうん、とうなずくのを見て、私は肌がざわっと粟立った。
普遍的なもの。
私も、表現したい。
文章という手段で、普遍的なものを表現し、それをひとに伝えたい。
私には吉本ばななのような、ずば抜けた才能はない。それはわかっている。
何年か文章を書いてきて、それはかなり残念な「きづき」であったが、認めるしかない。
けれど「表現する」ことは、ずば抜けた才能の持ち主だけに許された特権ではないはずだ。
おそらく才能よりも重要なのは「表現したい」という情熱なのだ。
才能がないから、と諦めてしまったら、そこからは何も生まれない。表現したかったんだけどね、という事実さえも残らない。
私には、ずば抜けた才能はない。
けれど才能のかけらのようなものはあるかもしれない。
あれは・・・・・・、まだ、女性誌に連載を始める前のことだ。
「なにか、書いてみれば」と、初めて私に文章を書くのを勧めたのは、シンである。
出会ってすぐの頃だった。
「おもしろいのが書けるよ。そんな気がする」という彼の言葉はなぜか私にびんびんと響き、本当に書けそうな気がして、私はすごい勢いでひとつの物語を書いてしまった。
ラ・ファイエット夫人が言ったことは本当だ。
「好きな男ならたとえいい加減な言葉であっても嫌いな男のはっきりした愛の言葉よりも心を乱すものだ」
シンは思いつきで言ったに違いないのだった。
さて、書き上げたそれは、まるっきりの私小説、しかも恋愛こってり、勢いはあるものの今読めば赤面の未熟な作品である。
それでも彼は長い「感想文」をくれた。筆圧の強い、踊るような字でつづられたその中には、こんなことも書かれていた。
路子には才能がある。
それはツボの中に才能が満ちたりていて、今にもあふれそうな感覚とは違う。
ツボの中をいっぱいにする(いわゆる水くみのような)人たちが路子の周り にいるのなら、そのツボはとめどもなくその水を吸収するに違いない。
その大切なツボを持っている。そんな感じだ。
その才能に火をつけて欲しい(燃えろよ、燃えろ~よ)
当時の私は複雑な気持ちでこの部分を読んだが(だって、才能はあるけど、あんまりない、ってことでしょう?)今では、彼の洞察はかなり正確なのではないか、と思っている。
ツボのなかから才能があふれ出ているのは、吉本ばななのような人であり、私は違う。けれど、私も、才能のかけらは持っているかもしれない。水くみのような人たちがいなければダメなのはチト悲しいが、要は、あきらめないことなんだ。
たぶん、そうなんだ・・・・・・。
と、これらのことが一瞬のうちに頭をめぐった。
[チョコレート・フォンデュ]
食事は終わりに近づき、最後のデザートが運ばれてきた。
もう食べられないざんす、と佐和子。同じく、と私。
ほんとうに、かなり満腹であった。
けれどテーブルの上に並べられたものを見るなり、私たちはぐいっと身をのりだしたのである。
皿の上に小さくカットされたさまざまなフルーツがのっている。そしてその隣りの深い器にはとろとろのチョコレートがたっぷり・・・。
「なんですか?これ!」
佐和子が期待に満ちた瞳をサビーナに向ける。
サビーナはちょっと得意そうに、「こうして、食べるんです。おいしいですよ」と言い、小さなフルーツを長い串にさしてチョコレートをつけた。
チーズ・フォンデュならぬチョコレート・フォンデュである。
いうまでもなく、デザートは別腹(ベツバラ)、しかもなんとも楽しいデザート。また、それがおいしいのなんのって。
私は「こういうのって、けっこう食べられちゃうものね」と、いったい誰に言い訳をしているんだか、そんなことをつぶやきながら、せっせとチョコレートまみれのフルーツを口に運んだ。
隣と前を見ると、佐和子とサビーナも、もくもくと串をフルーツにさし、チョコレートをつけて、という動作を繰り返している。
なので、あっという間にお皿は空になった。
<チョコレート・フォンデュの思い出・・・>
ああ、おいしかったあ。しあわせ。ありがとう。もう食べられないよう。
私と佐和子は満足しきって弛緩した表情をうかべ、おなかをなでた。
そんな私たちにサビーナが遠慮がちに、こう言った。
「あの・・・・・・ここは私たちにごちそうさせてください」
私と佐和子は顔を見合わせた。そして同時に言った。
「とんでもない!」
どう考えても食事代を払うのは私たちである。
ガイドをお願いして、こんなおいしいところに連れてきてもらって。
「せめてものお礼です。私たちに払わせて下さい」と佐和子が言った。
サビーナは困った顔でリカルドに何か言い、リカルドは首を振り、サビーナがうなづき、そして言った。
「でも、そのつもりでしたし。ストレーザへの歓迎のしるしです」
私たちはぶるんぶるんと首をふる。
サビーナは笑って、「それでは、自分たちの分は自分たちで、としましょうか」と言った。
「いいのかなあ」と佐和子。
「ね。でも、たぶん、サビーナも譲らないでしょう?」と私はサビーナに言った。彼女はにこにことうなずいている。リカルドも、しかたない、というようなほほえみを浮かべている。
なんと、この静かな恋人たちは。
と、私は思う。
なんて、いいひとたちなのだろう。
「いいひと」というとあまりいい意味で使われないことが多いけれど、この場合はほんとうに「いいひと」以外に表現のしようがない。
だいたい、カップルとおんなふたり、という組み合わせで、これほどおんなふたりをなごませ、優しい気分にさせる人たちが、いましょうか。
「これから、どこへ行きますか?マッジョーレの島を見るなら、戻りますけど、ここから近くのところで、オルタという湖があって、そこも、とてもいい雰囲気で、ぜひ、ご案内したいのですけど」
会計を終えたサビーナが言った。
どうする?とたずねた私に佐和子は「彼らがいいという所に行ってみたいね」と言った。彼女もすっかりふたりのファンのようだ。そして私もまったくの同感であった。
マッジョーレの島にも未練はあったが、それよりも、この静かな恋人たちが案内してくれる所にただついてゆきたかった。
そして、私たちの選択は正しかった。
オルタ湖は、ああ、オルタ湖は、気が遠くなるような静けさと美しさで私たちを迎えてくれたのであった。
[夕闇のオルタ湖]
<オルタ・サン・ジュリオの町。車から降りて広場に向かう途中の坂道>
夕刻のオルタ・サン・ジュリオの町。
ひとけのない路地を歩き、ひとけのない広場へ出る。どんなささやきであっても響き渡ってしまうような静寂に私たち4人はすっぽりとつつまれた。
きれいね。とか、すてきね。という表現が似合う町ではない。
ただ、静かな美しさが、そこにはあった。
私たちはほとんど何もしゃべらずに歩いた。
私は時々、立ち止まってシャッターを押した。
この雰囲気が私の写真の腕で写せるなんて思っていない。
けれど私は、自分がこの静寂のなかにいた、という記録を残しておきたかった。
オルタは、今回の旅行を通じて、一番シャッターを押した町である。
湖に隣接した中央広場には船着き場があり、そこから島へ渡る船が出ている。
もちろん、行くことにした。
船着き場から見るサン・ジュリオ島は神秘的な姿をたたえ、陳腐な表現だが、まるで一枚の小さな絵のようであった。
船には私たち4人と小学生くらいの女の子がひとり、乗った。
島で生活しているのだという。島で生活しているのはほんの数家族、女の子はそのひとりだった。
小船にのり、約10分で島に着く。
長さ300m、幅160mという小さな小さな島。
その中央に、ひとつ教会が建っている。
サビーナによると、4世紀にジュリオという聖人が来た時に建てられた教会で、現在のは12世紀に再建されたものだという。
内部は薄暗くて、よく目をこらさないとまわりが見えない。
私は少し緊張しながら中を歩いた。しん、と静まりかえっていて、その静寂は怖いくらいだ。
ほとんど手探りで通路を歩いて、ようやく祭壇のある空間に出た時だった。
突然、パイプオルガンの音色が降るように響き渡った。
そのあまりの美しさ。
からだが、ふるえた。
しばらくして、薄闇の中に佐和子を探し、「ね・・・これ、讃美歌?」と小声でたずねた。
薄闇の中で佐和子は「うん・・・」と小さく答え、それから長い吐息をもらした。
彼女のことだ。きっと深い感動の中にいるにちがいない。
私は彼女をそのままにして、パイプオルガンの音色の中を地下室へと降りた。
そこにはサビーナとリカルドがいた。
彼らの奥に、台座に載せられた長方形の箱があった。
その箱は棺であり、中には、聖ジュリオの遺骸(ミイラ)が収められているという。
ふだんの私は、死者にまつわるものにかなり恐怖を感じるのだが、この時はなぜか怖いという気持ちはわいてこなかった。
静かな恋人たち、聖遺物、薄闇の教会、パイプオルガンの讃美歌。
異空間に放り出され、そこを漂っているみたいで、まるで現実味がなかった。
やがて、船の出発の時間となり、私たちは島をあとにした。
広場におりたち、今私たちが確かにいたはずの島をながめた。
いつしかあたりは夕闇につつまれ、霧が立ち込めていた。
オルタ湖に浮ぶ小さな島はそれが現実に存在するとはとうてい思えないような、はかなく、美しく、神秘的な姿をたたえていた。
<オルタ湖にうかぶサン・ジュリオ島。夢心地の佐和子>