◆「リュクスの定義」に思うこと◆2010.2.22
2020/04/22
「エレガンスの継承者たち」(伊藤緋紗子著)という大型本を久しぶりに眺めて、非日常的なひとときにひたりました。
「世界に君臨する超一流ブランドはどうやって生れて継承され続けてきたのでしょう。いつまでも私たちを魅了するのはなぜでしょう」
というテーマなので、これを読むことで「非日常的なひととき」を過ごす自分自身が少々物悲しくもありますが、美しい写真もたくさんあるので、美にふれたい欲求が満たされるのは事実です。
そのなかから「カルティエ」のクリエイティブディレクターの言葉を紹介します。
「リュクス(奢侈)」の定義について。
「リュクスは、今日ではすっかり使い古され、中身のない言葉になってしまった。人に見せるためや自分が金持ちだと示すためになにかを身につけるのではなく、そのものが、自分のためだけに作られたと感じる個人的楽しみをもたらす時こそリュクスな時なんですよ。だからそのものの精神に魅了されることが大切なんだ」
「リュクスな~」といった言葉は、このところ、雑誌、ネット等で濫用されているように思います。
高価なもの、有名ブランドのものを「所有する」という意味で、使われているような気がしてなりません。
けれど、(たまには正論っぽいことを言いたいのですが)、リュクスはやはり、本来はとっても精神的なものなのだと思います。
そういった意味でいえば、ある世代の方は、「ああ、なつかしい」と思われるかもしれませんが、たしかバブル期に「カルティエの三連リングを彼からもらう」という行為が、流行したことがありました。あれなどは、まさに「もっともリュクスからほど遠い行為」なのだと思います。
服にしても小物にしても、身にまとうもので、「惚れた!」と思えるものに出会えるのは一年にいったい何度あることでしょう。
有名無名関係なく、そういうものとの出会いにリュクスな香りを感じていたい。
「一流ブランド」についての本を眺めながら、つくづく思うのでした。