MODEな軽井沢 特別な物語

◆メイクと化粧と素顔◆2009.5.18

2020/04/22

私は娘と「似ている!」とあまり言われたことがないのですが、義弟は「化粧をしていないときは(私が)、よく似ている(娘と私が)」と言います。
義弟は、しばしば私のノーメイクを目撃していて、それが娘と似ている、というのです。そして普段、ほかの人たちには「似ている!」と言われないということが何を物語るか、明らかでしょう。はい。使用前使用後がたいへん異なるということです。
……
そんなふうに、ちょっと打ち沈んで、物思いモードになり、化粧に想いを馳せれば、「化粧」にしても「メイク」にしても、言葉というものは、ちゃんと意味をあらわしているのだな、とヘンに感心したりするわけです。化粧の「化」は「化ける」だし「メイク」って「作る」でしょ。

ところで、さいきんお世話になっている鷲田清一さん。
『てつがくを着て、まちを歩こう』(先週もご紹介しました。ご覧下さい)、こちらに寺山修司による化粧論が一部、紹介されていて、これがとても興味深いものでした。

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一言でいってしまえば、わたしは化粧する女が好きです。そこには、虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。そしてまた化粧はゲームでもあります。顔を真っ白に塗りつぶした女には「たかが人生じゃないの」というほどの余裕も感じられます。……化粧を、女のナルシシズムのせいだと決めつけてしまったり、プチブル的な贅沢だと批判してしまうのは、本当の意味での女の一生を支える力が、想像力の中にあるのだということを見抜くことを怠った考え方です。(by 寺山修司)

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著者である鷲田氏はおっしゃいます。

「現代の女性はみんな自分を美しくなくするメイクに傾倒しているのではないか」

たしかに、「そんなにぬりたくらないほうがいいって!」とつい注意してあげたくなる人(10代に多い)もいますから、鷲田氏が、こうおっしゃりたいのもよくわかります。

けれど、ある程度の年齢を超えると、人前に素顔であらわれるほうが、かえって失礼だわ……、と思うようになるわけで、それでいて厚化粧だと、「見てはいけないものを見てしまった」気分にさせるほどに醜いわけですから、いろいろと難しい今日この頃です。

そんななかで、「素顔っぽいくせに、しかもけっこういい年なのに、綺麗」な女優のひとり、というか、そういう女優ではナンバーワンといわれているひとが、ジュリエット・ビノシュです。

先日、公開されたばかりの映画『夏時間の庭』(公式サイトはこちら)を観てきましたが(銀座テアトルシネマ、満席でした)、その映画でも、メイクの匂いはほとんどなく、でも、とてもよい雰囲気でした。

このところビノシュはとっても元気、ダンスに挑戦したり、詩画集を出版したり。
もう女優としてだけではなく、「なにものか」になりつつある、そんな気配が濃厚です。
次の言葉からもそれは感じ取れます。

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この詩画集は、私の、これまでの仕事や監督たちへの個人的な思いから始まったものですが、こうして思い返すと、世の中の人々に対するメッセージだったような気もします。『みなさん、目を醒まして下さい。命がけで、生きてください。そんな、ささやかな私の叫びを感じていただけたら嬉しいです』***
もっと知りたい方はこちらからどうぞ

私は、ジュリエット・ビノシュが好きです。ファンです。彼女が出ている映画はほとんど観ています。
ずいぶん前の映画ですが、はまり役のファム・ファタールを演じた『ダメージ』、ここでの衣装(ミレナ・カノネロが担当。その衣装が話題となった『マリー・アントワネット』などで活躍)もメイクもヘアスタイルも、好みです。破滅の香りぷんぷんの映画です。そういうのがお好きな方にはおすすめします。

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