軽井沢ハウス

■2話■ 老けない「デッキ」と変身した「屋根瓦」物語

2017/05/17

どうぞ、南側へいらしてください。「ストーンデッキ」と、それからもう一箇所、ぜひお見せしたいところがあります。

■ウッドデッキ vs ストーンデッキ■

軽井沢で家を建てるなら、そのイメージだけでもデッキは外せません。そしてポピュラーなのは、やはりウッドデッキでしょう。けれど、最初から私の中にウッドデッキは存在していませんでした。

理由その①軽井沢ハウスにはウッドデッキは似合わない。
これは視覚の問題、好み。だいたい「北フランスの田舎家」にくっついたウッドデッキを私は見たことがない。

理由その②ウッドデッキは腐る。蟻が住む。
これについては、二年半に及ぶ「賃貸生活」で学んだことです。借りていた家は、築十二年の別荘で、以前はさぞかし立派な姿だったろう、と思わせるウッドデッキがありました。そうです、私たちが借りる頃は長い年月を経て、ぼろぼろだったのです。腐っていて、居心地よさそうに蟻が暮らしていました。 私は、素人ながらに、湿度が高く冬は雪が積もる軽井沢にウッドデッキは適切ではない、と判断しました。
痛んだら新しいものに取り替えれば問題ないのでしょうけれど、そのコスト、手間を考えると、半永久的なストーンデッキにすべき。これが私の考えでした。
ヨーロッパの「石の文化」への憧れがあったかもしれません。せめてデッキくらいは「石」を使いたい、という願いが……。

今、毎日ストーンデッキの上を行ったり来たりしながら、パリの石畳に思いを馳せてうっとり……しているというのは嘘ですが、やはり雪などが積もると、石にしてよかったあ、としみじみ思うのです。ウッドデッキだったら、「木が、傷む、腐る」と気が気ではなかったでしょう(貧乏性)。
さて、南側の基礎石貼りは、ストーンデッキと合わせてやってもらいましたが、ちょっと困った問題が起こったのです。

■お金はかけずにアイデアで勝負■

ある日のこと。「おくさーん」と呼ばれたので、「はーい」と返事をして出て行くと(おくさーん、って呼ばれると一オクターブ高い声で返事がしたくなるのはなぜでしょう)、できたてほやほやのストーンデッキの前で左官の山本さんが、困った顔をなさっています。
「ど、どうなさいました?」
「あそこんとこね、石がねえ、やっぱり足りなくなりそうです。どうします? 石を少なくしてモルタル(石と石の間を埋めるためのもの)を多くするしかないですかねえ」
「それ、ヘンじゃありません?」
「きれいじゃあ、ないですよねえ」
どうしよう! 石を追加注文するのは簡単だけれど、そうするとさらにコストがかかる。材料費だけではなく人件費も……。無理言ってお願いした基礎石貼りだから、これ以上丸山さんに負担をかけられない。なんとかしなくては……。
足りなくなってしまったのは、正面のテラス右側。このテラスには、サンルームとおそろいのテラコッタが貼ってあります。私は山本さんに言いました。
「山本さん、ここは、そもそも、デッキと同じ石では色が合いませんね」
「言われてみれば、そうですね」
何か、いい方法は? 私は頭をフル回転させました。思考を柔軟に柔軟に。お金はかけずにアイデアで勝負よ、考えるのよ!
やがて、私の頭の右上あたりに、ぴかっと、電球マーク点灯。
「山本さん、いいこと考えつきました!」
私は、庭の隅を指差して言いました。
「あれを、使いましょう」
私が指差す先には、テラコッタとほぼ同色の、ある建材が無造作に積まれていました。 そうです。屋根に使った「瓦」です。屋根屋の山浦さんに「いらないなら置いていって下さーい」とお願いし、四ヶ月間庭に放置しておいたのでした。庭をつくるときにどこかで使えるかもしれない。使わなかったら砕いて埋めちゃえばいい。
その程度の評価しか与えられていなかった瓦ちゃんが今、脚光を浴びようとしています。

余った屋根瓦の大変身■

 
「山本さん、あれを砕いて、貼りましょう」
「え? 瓦をですか?」
「そうです。きっとぴったり合うと思います。でこぼこでも味がありますよ。やりましょ、やりましょ」
「丸山さんに聞かなくてもいいですかね?」
「丸山さんは賛成なさると思います。大丈夫、私が責任持ちます!」
私は自信満々に胸を張りました。(このとき「いやあ、いいじゃないですか!」とにっこりなさる丸山さんを想像していたのですが、後ほどこの通りのリアクションをいただきました)。
山本さんは瓦を砕いて貼ってくださいました。その横顔がどこか楽しげに見えたのは、私の希望的観測でしょうか。
貼り終えた後で、ご自分の「仕事」を眺めながら山本さんはおっしゃいました。
「ちょっと考えられない発想だけど、こういう利用法もあるんだな。丸まったりしているところもあるけど、これもいい味出てますね。石が足りなくなって、逆にいいものができましたね」

ああ! こういった有効利用ほど、私に充実感をもたらすものはありません。お金をかければいくらでも、いいものは集められます。いいものはつくれます。けれど、それじゃあ、つまらない。なぜなら、そこには楽しさがない。
考えることが楽しいのです。職人さんと、考えながらつくりあげてゆく、その共同作業も、家創りの楽しさの一つ。
他にもたくさん、このようなエピソードがあります。順を追って紹介してゆきますが、「屋根の瓦を基礎に貼った」ことは、印象深い出来事でした。


職人さんたち。「恐い人」から「仲間」へ■

それにしても、家創りというものを経験してみて、つくづく感じたのは、「人と人とのつながりが要」ということでした。
一軒の家を建てるのに、いったい何人の方々が関わっていることでしょう。
もっとも深い関係だったのは、建築士の丸山さんですから、彼を「夫」としても、他にたくさんの「愛人」たちが……。
ちょっと思い出してみましょう。昔の男を回想する気分で。
愛人ナンバー1は、やはり「現場監督」の酒井さんでしょう。限りなく真面目なお人柄の方でした。現場監督の方にこちらのイメージをどれだけ正確に伝えることができるのか。これも家創りの、ポイントのひとつでしょう。
愛人ナンバー2は大工の清水さん。彼はけっして受け身ではなく、たくさんのアイデアを出してくれました。的を得ていることばかりだったこともあり、軽井沢ハウスには彼の技がたくさん活きています。
その他にも、左官の山本さん、羽毛田さん、塗装の大西さん、建具の安原さん……。彼らとも、一つ一つ相談しながら決めていきました。彼らの仕事への情熱に、私は何度も熱い感動を味わったものです。
私は、「職人さん」というと、すぐに「てやんでいっ」って言う人たちに決まってる、との根拠のない偏見そのものをもっていたので、最初は恐くて、びくびくしながら彼らと接していました。けれど後半になってくると、彼らからの提案なども出されるようになり、いつしか、一つの大きなイベントを成功させる、心強い仲間のようになっていました。
それからこれはすごく蛇足ですが、私は肉体労働に従事する方々に、なみなみならぬ「男の色気」を感じる性質なので、家創りはある種、至福のイベントでもありました。

 

★★★「限られた予算」だからこそ★★★

 屋根瓦の有効利用は、「予算」の壁がなかったなら、思いつきもしなかったでしょう。そう考えると、予算は潤沢にあればあるほどよい、とは言い切れないと思います。いえ、負け惜しみではなく。
 本文でもふれている通り、我が家の予算は潤沢とは程遠かったけれど、私は最初に決めた金額から一円たりともオーバーせずに、家を完成させることを強く決意していました。一度オーバーしたなら、どうせつくるのだから、せっかくだからと、どんどんふくれあがるに決まっているからです。
 予算内でなんとかするのは、私には楽しいゲームのようでした。人はまるっきりの「自由」を与えられると何をしていいのか困っちゃう生き物だそうです。
 もしも私に無限の予算が与えられたら、何をどうしていいのか、どのような家をつくったらいいのか、途方に暮れたことでしょう。制限があるから、その中で何をどうしようと、あれこれ工夫するのが、考えることが、楽しいのです。 

 

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