軽井沢ハウス

■14話■ ホテルみたいな「バスルーム」物語

2017/05/17

こちらがバスルームです。トイレ、洗面、浴室を合わせて、ホテルのように、「バスルーム」と呼ばせてください。

■イメージだけは、ホテルのように■

私はホテルが大好きです。もちろん、ホテルと言ってもぴんきりですが、ある程度のランクのホテルの、中でもバスルームが好き。広々とした美しいバスルームで化粧をし、髪を整えると、いつもよりずっと美しくなれるように錯覚できるのが好きなのです。
そこで我が家を少しでも、「好きなホテルのバスルーム」に近づけることにしました。私なりに。
トイレ、洗面、浴室。本来ならそれこそホテルのように、広い一室にオープンで三つが入っているのがよいけれど、日常を考えると一人暮らしではないし、あまりにも不便です。
なので、ホテルみたいに、と追求しながらも、この三つは独立させました。気分だけはまとめて「バスルーム」と呼びたく思います。

■トイレだからこそ美しく■

まずはトイレからご案内しましょう。
トイレを広くとりたい、という方も多いようなのですが、私は逆です。トイレでくつろぐ趣味がないからです。というわけで、トイレの広さは必要最小限、けれど、細部にはこだわりました。
「たかがトイレにそこまでやりますか。すごいな」と、夫は半ばあきれておりました。
何をおっしゃいます。トイレだからこそこだわるのです。不浄の場だからこそ、美しくありたいのです。
まず、避けたかったのが「棚」です。そうです。トイレットペーパーや除菌シートなどを収容する棚。あれが私は嫌い。予備のペーパーはもちろんトイレ内に、けれどさりげなく見えないところに置きたい。
これは簡単なことでした。手洗い用にカウンターを作り、その下を湿気対策も合わせてオープンにしたのです。
そこに布で目隠しをすると、広い収納スペースのできあがり。買ってきたペーパーをそのまま、ぽんと置けます。

カウンターは大工さんの清水さんにお願いして、縁のところをランダムに削っていただきました。白く塗ってできあがり。
最後の最後まで決まらなかったのが、手洗いボウルです。もう毎度のこととなりましたがカタログからはお気に入りを見出せません。ちょっと素敵なかんじのものに、スペイン製のカラフルなのもあるけれど「北フランス」の我が家とは合わない。そこで、またまたネットで検索、小さな白い鉢を見つけたのでした。これをカウンターに埋め込んだら、味わいのある手洗いスペースになりました。
ペーパーホルダーも、かなり探しました。アイアン製で、ペーパーが二つかけられるものが欲しかったのですが、なかなか見つからなかった。ネットでようやく発見、購入しました。タオルハンガー、ミラーもすべてネットで購入しました。だいぶ、ネットのお店にも詳しくなりました。インターネットがなかったら、ここまで出来なかったでしょう。東京ならはたくさんのお店があるけれど、ここは軽井沢、田舎なので。

 

トイレのドアは白く塗りました。
当初、室内ドアは全て焦げ茶色にする予定だったけれど、最後の最後になって変更したのです。
あの日は、塗装の大西さんがせっせとドアを焦げ茶色に塗っておいででした。
私は家の中をうろうろとしていたのですが、トイレ付近を通過したとき、ふと、あることに気づきました。そして、ダイニングからトイレを何度も往復し、近くにいらした現場監督の酒井さんに声をかけました。
「酒井さん、ここ、ものすごい圧迫感があるみたいです」
つまり、焦げ茶色のダイニングのドアを開けてトイレに行こうとしたとき、すぐ前にトイレの扉がくるわけですが、これが同じ焦げ茶だと、ぐわっと目の前に迫りくるようなかんじがするのでは、と想像したのです。まだドアがつけられていない状態なので、必死に想像したのです。
「ですから、トイレのドアだけは、たとえば、壁の色に近い、くすんだ白にしたらどうでしょう? 変更可能ですか?」
「まだ塗る前だから問題ないです」と酒井さん。
「ああ、そのほうが、確かにいいかもしれませんねえ」と大西さん。
遅れて丸山さんが登場、「それはいいですね、少しかすれたかんじで塗りましょう」と、嬉しいアドヴァイスをくださいました。
完成したドアを見て、なんて美しいんでしょう……と感動したことを覚えています。
最後の塗装の段階あたりでは、ほぼ現場につきっきりでした。チェックというよりも、そのときにならないとわからないことというのが多いから、気が抜けないのでした。

■洗面ボウル物語■

洗面台にはキッチンとおそろいの白いタイルを貼りました。このスペースはカウンターと棚をつくるだけだったのでそれほど苦労はしませんでした。
苦労したのは、洗面ボウルです!
もうほとんど嘆き疲れていますが、言わせてください。
「徹底的に、ないんです! 気に入ったものが!」
カタログにあるのは、どれも楕円の、そっけないか、あるいは赤面してしまうほどに装飾過多なデザイン。ネットで検索すれば、有田焼のボウルなんかもありましたが、我が家には合いません。軽井沢の作家さんたちの作品を見せていただいたこともありますが、素敵だけれど、我が家には合わなかったのです。
しかも、ここのボウルは機能的でないといけない。ちょっとした洗濯物が洗えるようなのがいいし、水が周囲に飛び散らないようにするため、ある程度の大きさも必要です。
丸山さんの前で、分厚いカタログを手に私は大きくため息をつきました。
「どうして、揃いも揃って同じようなのばかりなんでしょう! 日本にはデザイナーって人がいないんですか! いいえ、きっと! いるのに力を発揮できない環境なのだわ! 革命を起こそうって人はいないんですか!」
不審なほどに嘆き怒る私に丸山さんはソフトにおっしゃいます。
「山口さん、ほとんどの人は、この中のどれかを気に入るんですよ」
「それは、私がヘンということですか!」
「またまたあ、すぐそうにおっしゃる」
丸山さんは私の扱いを心得ていらっしゃるようでした。ぜんぜん相手にしてくれない。
私はほとんどふてくされながら、分厚いカタログを最初から見始めました。そして、あるページで手を、ぴたりと止めたのです。
「丸山さん、……あるじゃないですか」
と、私は言いました。
私が差し出したページには、長方形の、それはレトロな雰囲気の大きなボウルがあったのです。
「ああ」と、丸山さんはおっしゃいました。「それは理科の実験室用のボウルですよ。はっはっは」
「これにします」
「冗談?」
「いいえ。なぜ? 素敵です。これ」
丸山さんは賛成しかねるようでしたが、次第に変化して「うーん、だんだん、いいかもしれない、って思ってきました」となり、最後には、
「もともと選択肢にないモノなんですよ、これは。でも不思議ですね、本当にあのスペースにはこれが合うような気がしてきましたよ」
と、なったのでした。

こうして、めでたく洗面ボウルが決定しました。とっても使い勝手がよいです。
また、このスペースは北側なので暗いのが気になりました。けれど窓はあまりつけたくありません(北側なので。防寒防犯上)。そこで、玄関でも採用したガラスブロックをはめこむことにしました。これで採光も問題なし。

■眺めのよい浴室を■

夫はお風呂が大好きです。入浴タイムは私の三倍、意識不明になってはいないかと心配になるほどに、長いこと出てきません。それほどに好きなようです。
ですから浴室については設計の段階で、「周囲の視線を気にせずに入浴できるように、浴室を家の中心にもってこよう!」と言ったこともあったくらい。すぐに却下、あるいは黙殺され「ならばせめて眺めのよい浴室を」と希望したのです。
結果的に、浴室は東側につくることになり、今のところ我が家の東は雑木林なので、窓外には緑が広がる、眺めのよい浴室となりました。私も夏の夜などに、キャンドルの灯りだけにして窓を開けて入ることもたまーにありますが、木々の香りがふわっと漂ってきて、それはそれは素敵な気分になります。

■どうにかならないの? 浴室のドア!■

ところで、浴室のドアって……。ああ! なぜ美しくないのでしょうか!
はい。また規格品に対する苦情です。
それほど種類もなく、決まって曇りガラスちっく。
「お ふ ろ の ど あ」と、はっきり発音したくなるほど、面白みも何もあったものではありません。
そこで私は丸山さんに言いました。
「なんとかできるでしょうか。ホテルのような浴室がテーマなのですから。美しいドアにしたいところです」
「……」(丸山さん無言状態)
「いいえ、ドアをこの中(カタログ)から選ばないといけないことはさすがの私でも承知してます」
「……」(同上)
「装飾ができれば。たとえば、ガラスブロックや白いタイルに合わせて、正方形の格子みたいなのをつくれないでしょうか」
「ああ、そういうことなら」(ようやく丸山さん息をふきかえす)
「できるかもしれないなあ。うん、やってみましょう。白く塗装すれば、おしゃれなドアができるかもしれませんよ」
「ほんとですか?」
「ええ、きっとできるでしょう。浴室のドアにここまでやるか、ってかんじですけど、やりたいんですよね?」
「……」(首を縦にぶるんぶるん言わせているため無言の私)
そして、できあがったドア。これ、入浴しながら、洗面所からもれる灯りがとっても綺麗なのです。また一つ、お気に入りの空間ができました。

 

★★★「規格品ハウス」は、快適でありえない★★★

「浴室のドアにここまでやるか、ってかんじ」と丸山さんはおっしゃいましたが、さすがにこのときは当の本人(私です)が「ここまでやるか……」と呆れ半分状態でした。
そこで少し後になって「そこまで私を駆り立てるものは何か?」と分析を試みました。 その結果、次のことが分かりました。
どうやら、私は「意味もなく、世間の趣味をおしつけられる」ことに反発したい性質をもっているようです。
家の基礎や洗面ボウル同様に浴室のドアも、「こういうものなんですよ。あなたも受け入れなさい」と、どこからか声が聞こえるようで、ついつい反抗したくなるのです。
「なぜ?」と、言いたくなるのです。
けれど、この自分なりの美意識というか、執着を捨てたら、規格品の組み合わせによる規格品的な家、「規格品ハウス」ができるだけのように思います。
「わたしは規格品的な人間です、すごいでしょう」と自慢する人は別として「規格品ハウス」が、それぞれの個人にとって快適である確率は非常に低い。
なので、自分自身にとって快適な家をつくるためには、やはり、「なぜ?」といった疑問を、そして他の人からはどう思われようと自分なりの美意識を、捨ててしまってはいけないのではないか。そんなことをつくづく思いました。
もちろん、こういった「わがまま」……じゃなくて、家をつくろうという人の「要求、美意識」を、できるかぎり受け入れてくれる、少なくとも受け入れようと努力してくださるパートナー(私の場合は丸山さん)に出会えなければ、不可能なことですが。
(きっと私は「この人、ぜんぜん受け入れてくれないっ」って気づいたら、その段階で、他の人を探したでしょう)
たかが浴室のドア一枚の話ですが、「基礎に石を貼って!」と並んで、私の家創りを象徴している出来事のように、今は感じています。

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