軽井沢ハウス

■17話■ 家創りのキーワード物語  

2017/05/17

これで我が家をすべてお見せしました。
珈琲をいれましたから、どうぞこちら、リビングへいらしてください。
家創りの思い出話みたいになってしまいますけれど、もう少し、おつきあいくださいね。

 

■情熱ウイルス■

二〇〇三年は家創り一色でした。
今、既に「遠い過去」となりつつあるその日々を振り返ってみると「よくもあれだけの情熱をもって、取り組めたものだわね」とまるで他人事のように思えます。
情熱。
やはり私の家創り最大のポイントは、これだったように思えます。
「情熱」と言うと聞こえがいいですが、あるときは「激しい思いこみ」に、またあるときは「わがまま」に、あるときは「だだこね」に変身したりもしましたから、丸山さんをはじめとする、私に関わってしまった方々は、きっと大変だったことでしょう。
けれど、ここでも自分を正当化しようとする習性があらわれてしまうのですが、これは必要悪ならぬ「必要情熱」だったとは言えないか、と思うのです。
そうです。家創りに限らず、何か新しいもの、よいものを生み出そうとしたとき。中心となる人間に情熱がなかったならどうでしょう。もっとも大切な原動力がないわけですから、「ほどほどにてきとうに」物事がすすめられ、完成したものは、そこそこのもの。「充実感」はもちろん、「成功」もないでしょう。
家創りが進んでいくうちに、丸山さんの眼差しもどんどん情熱的になり、現場監督の酒井さん、大工の清水さん、そのほかの職人さんたちの表情に、私の情熱ウイルスに感染した様子があらわれていた、と思うのは、私だけの希望的観測、と思いたくはありません。
私が現場から目が離せなかったのも、もし、私のイメージと違う仕上がりになってしまったとしたら、それは私自身の責任だという覚悟を常に持っていたからで、だから必死になって「情熱ウイルス」を撒き散らしていたのです。
このようなかんじだったので、家創りが終わってしばらく経った頃、丸山さんからいただいた言葉は嬉しかった。
「職人さんたちが、久々に手ごたえのある仕事に出会って喜んでいましたよ。山口さんの難しい注文が、彼らの職人気質をいい意味で刺激したんですよ。みんなやる気になっていましたからね」

■家創りにおける成功とは■
 
ところで。家創りにおける成功とは何でしょう。
壮大なテーマのようですが、答えは簡単です。「これは私の、私たちの、作品です!」と言える家の完成を言います。そう思います。
それがたとえ傍から見たなら、絶句するような代物であっても、本人たちにとっては立派な一つの作品であり、そこには彼らの空気が濃厚に流れている。これが肝要だと思うのです。
私は、二十代の中頃から、主に西洋のですが、絵画を中心とした芸術というものにふれてきました。その中で、何度も思い知らされることとなったのは「オリジナリティ」の重要さです。「どこかで見たような絵」「○○風の絵」ではなく、一目見ただけで、その作家の香が漂ってくるような作品が、やはり人のこころをうつ。
芸術作品を例に出して語るなんて、信じられないくらい図々しいと自覚しつつ、進めます。
「人のこころをうつ」は抜かすとして、オリジナリティという意味で言えば、私の家創りは成功であったと断言できます。なぜなら、この家を訪れたほとんどの友人知人が「路子ワールド」という言葉、あるいはそれに類似した感想を口にするからです。
これは「すてきな家」「センスがいい家」という褒め言葉とは異なるところがポイントです。もちろん、そのような言葉を口にしてくださる、心優しい方もおいでですが、「路子ワールド」という言葉に表れているのは、その言葉通り、「あなた色の世界だわねえ、すみからすみまで」といった、なかば呆れ調子の驚きなのです。

■じつは要人だった夫■

ここで一抹の不安が、頭をよぎります。
「路子ワールド」。一人暮らしなら、不安はありません。けれど私には家族がいて、娘はまだ家創りに参加できる年齢でない、とすれば残り一名、つまり夫はどう思っているのか、ということです。
我が家をご案内する中で、何度か彼のことについてふれてきました。ペレットストーヴを見つけたのは彼だったとか、お風呂だけにはこだわっていたとか……。
今、じっくりと振り返ってみると、これはすごいことかも、と思います。
自分も住む家なのです。お金を出す家なのです。そして、彼にも好みというものがあるのです。それなのに彼は、家創りを私に一任した。……このあたりのことについて簡単にお話しておきましょう。
あれは設計に入る前のことです。私たちは雑誌を見ながら、それぞれの意見を言い合っていました。
元来、「家創り」が、「人生でやりたいことのベストテン」に入っていなかった二人ですから、慌てて雑誌等を集め始めたような状態。そして、予想通り私たちの好みは、まるっきり異なっていました。夫は、土間や縁側がある純日本家屋。そして、私は、ごらんの通りの家が好みです。
……。ええ、ぜんぜん違うのです。
しばらく考えていた彼が私に言いました。
「全く違う二人の好みを反映させようとしたら、きっと中途半端な家ができる。ここは路子のセンスで徹底させたほうがいいだろう。家にいる時間が圧倒的に多いことだし。一つの作品と思って、自分の美意識を思いっきり出すといいよ」
そして以後一貫して、彼は余計な口出しをしなかったのです。
「余計な口出し」はなかったけれど、大工さんの腕を生かした「匠の家」にしたいと、最初の飲み会を企画したのも彼です。基礎石貼りのときに、「これだけは諦めないほうがいい」と、へなちょこになりがちな私を応援してくれたのも彼です。ときおり私が、忙しさのあまり「きーっ」となると、「大変だねえ。珈琲でもいれようか。まあ、落ち着いて」とまるで他人事のように労をねぎらってくれたものです。
こう考えてみると、意外とよい働きをしてくれていました。
なんだか、最後に思い切りフォローしているようにも思えますが、そして実際その通りですが、「路子ワールド」は「路子ワールド」を応援してくれる夫なくしては完成しなかった、ということが言いたかったのでした。

■家をつくるのは「感情」のある「人」■

軽井沢ハウスの引渡しは八月三十一日でした。
ぎりぎりの完成でした。三十一日に引越しをし、二〇〇三年九月一日、軽井沢ハウスにて、初めての朝を迎えたのです。
そして五ヶ月後の二月七日、「軽井沢ハウスの集い」が開かれました。
丸山さん、大工の山田さん、清水さん、現場監督の酒井さん、我が家のカーテンに尽力くださった小幡さん、おまけで私の友人Yさん、そして私と夫。計八人がダイニングのテーブルを囲み、軽井沢ハウス建築についてあれこれと想いを語り合ったのでした。と言いたかったのに、その実は、ほとんど関係のない「男と女のこと」、などをテーマに盛り上がったのでした。
私はせっせと料理を運びながら、お酒でよい気分になっておいでの丸山さんを初めとする「軽井沢ハウス主要メンバー」をちらちらと眺めては、しみじみと思うのでした。
「思い描いていた通りに、家創りができたなあ」と。
つまり、「みんなで一つのプロジェクトに取り組む」かんじのイメージです。
私は施主であって施主でなく、丸山さんは建築士であって建築士でなく、清水さんは大工であって大工でなく……。なんだかこんがらかってきました。
ようするに、私は施主であるけれども、お金を払う立場であるけれども、そういう風に意識したことはなかった、ということが言いたいのです。
確かに、わがままであったり、思い込み激しすぎたり、情熱がうわすべりしていたり(その他いっぱい)は、していたでしょうけれど、一度も「あたしは客よっ。お施主様よっ.
跪いてハイヒールをお舐めっ」と威張ったことはなかった。はずです。
少なくともそのように思ったことはありません。「このくらいのことはもちろんやってくれるんでしょうね!」的な考えもなかったように記憶しています。
家創りには「予算」というものがあり、自分の要望がその枠内では到底不可能、ということもたくさんあります。
私はまずは自分の要望を伝え、そして、それがどうも無理だというときには、予算の範囲内でなんとかするように努力しました(基礎石貼りだって、丸山さんが本気で「無理です」とおっしゃったら、自分でなんとかする覚悟はあったのです)。
「これも開けますか!」
夫の声とともに、赤ワインがさらに一本、開けられます。

■すべては「感情」を持つ「人」がつくっている、動かしている■

目尻をとろんとさせておいでの清水さんを見て、私はまたさらに思います。
家創りに参加するということは、「施主として監視&命令する」ことではない、と。
住宅関連の雑誌などに掲載されている、家創り経験者の不満、などを読むと、たいていは「金を出しているのに」という意識があり、同時に根っこの部分で施工会社に対する「不信感」があるようです。
だまされないように、損しないように。
もちろんそれも大事だけれど、それが基本にあるというのはどうなのでしょう。自分がそのように思っていたら必ず相手にもそれは伝わります。そして、誰にでも「感情」はあるのです。
そうです。人の「感情」をないがしろにしてはいけません。
たとえば私が大工さんだとして。きらびやかに着飾った施主・妻がハイヒールで現場にやって来ます。もちろん「監視」のためです。そして、釘の打ち方が気に入らないところを発見。眉をひそめて言います。
「あーた、それでもプロ? ったく、このくらいのこときちんとしてくれないと困るわっ」 大工の私は、「何様だ、このババア。どこかの釘の一本でも抜いといたる」と思うでしょう。(注:くれぐれも、性格の悪い私が大工だった場合です)。
営業だって同じです。営業の私のところに施主・夫がやって来ます。とっても横柄です。
「なんでもいいから安くしろ!」
「これ以上は無理です。ぎりぎりなんです」
と、営業の私は言います。
施主・夫は、ふふんと鼻で笑って続けます。
「とにかく、この予算で全部やれよな」
私は、きっと目に見えないところの資材をこっそり不良品にしちゃうでしょう(注:くれぐれも、性格の悪い私が営業担当だった場合です)。

「それにしても」と、清水さんが遠慮がちに口を開きます。「ほんとに楽しく、やりがいのある仕事でしたよ」
私は涙が出そうになります。
「いやー、本当ですよね! すごくすっごく大変だったけど!」
と、同意しているのか反対なのか分からないことをおっしゃるのは丸山さんです。
私は丸山さんのグラスに赤ワインを注ぎながら、「すごく大変だったけど、は余分ですよ」と言いました。つい声が凄んでしまいます。
「だって、ほんとのことですよ」
と、酔った丸山さんは豪快に笑います。
ええ、ええ。そうでしょうとも。と、私は思います。
丸山さんの存在は大きかった。いや、大きかったどころではないです。軽井沢ハウスは丸山さんなくしてはありえなかったでしょう。
上機嫌の丸山さんが満足そうにおっしゃいます。
「いやあ、それにしても、うん! いい家ができたなあ! 職人の技がある家! ちょうなで仕上げた梁、漆喰の塗り壁、白いタイル張りのキッチン、軽井沢の彫金作家野本氏の面格子、照明、ポスト。まぎれもなく、この家は一つの芸術作品ですね!」
おおっ。と、ざわめきがおこり、まばらな拍手が(みんな食べることと飲むことに夢中なため)。
これまた上機嫌の夫がふらりと立ち上がり、グラスを掲げました。
「みなさん、ありがとうございました! あらためて、軽井沢ハウスに乾杯しましょう!」
楽しくて笑いすぎて、目尻の皺がいっそう深くなった一夜でした。

次はどんな家をつくりたいか、ですって?
何をおっしゃいます。とんでもないです。想像しただけでぞっとします。嫌です。私には二度とできそうにありません。命と引き換えでも無理です。それほどの大仕事だったのです。
さて。
以上で、我が家のご案内とお話はおしまいです。長い間おつきあいくださってありがとうございました。
記念に、家創りのキーワードをお持ち帰りくださいね。
はいどうぞ。そうです。
「情熱」と「信頼」。
これにつきます。

-軽井沢ハウス