ブログ「言葉美術館」

■『美術の力』と『夜と霧』と「月」

2018/01/27

 今日はぜったいぜったい、ひとつの仕事を仕上げたかったのに、まったくまったく、集中できずに、残念な気分で夜をむかえてしまった。集中できないでいる時間は、あとから考えてみればけっして無駄ではないことを知っているのに、それでもこんなに残念、残念な気分はいつも新鮮。慣れることがない。恋愛とおんなじ。

 一歩も外に出ないでいたから外がどんな天気だったかさえわからない。

 そしていま空に月が浮かんでいるのかどうかさえも。

 仕事に集中できていればそんなことはどうでもいいことなのに、仕事が進まなかっただけで、なにか、間違いをおかしたような気になる。こんなことなら、出かけてあのひとと会えばよかったとか誘われていた会に行けばよかったとか、ああタンゴ踊りたいとか。

 それでも、集中できないなかでも、今日読むと決めていた本は読むことができた。宮下規久朗 著『美術の力』。

 宮下規久朗という名を知ったのは「美男子美術館」でカラヴァッジョを書きたくて読んだ本だった。強烈だった。著者のカラヴァッジョへの想い、そして破天荒な画家と自分を重ね合わせて書いているその姿、熱量にくらくらになって、私なんかには到底書けない、と一度は「美男子美術館」にカラヴァッジョを入れるのを断念したくらいだ。時を置いてなんとか書いたけれど。

『美術の力』は書店で見かけて購入した。最新刊になるのだろうか。宮下規久朗という名はもちろん、帯の文章に惹かれて。

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いったい、美術にどれほどの力があるのだろうか。
心に余裕のある平和な者には美しく有意義なものであっても、この世に絶望した、終わった者にも何か作用することがあるのだろうか。ーー「あとがき」よりーー

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 現在の私自身の問いとぴったり重なっていてびっくりしたし、それに、私自身が人生に絶望していたあの時期、美術とか愛とかそんなことがいったいどれほどのものだというのよ、という虚無のなか深く沈んで何も書けなくなっていたことを痛みとともに思い出したからだ。

 それにしても、と気になって「あとがき」から読んだ。私の友人知人たちがいつも私の本の「あとがき」から読むように。

 そして、著者が4年前にひとり娘の麻耶さんを亡くしていたことを知った。

 詳細はなかったから、ネットで調べて、大学を卒業したばかりの年、がんで亡くなられたこと、そして麻耶さんが死の間際、支えにしていたのが、フランクルの『夜と霧』だったことを知って、それは宮下規久朗さんご自身のエッセイだったのだけれど、涙があふれてきた。(日本経済新聞/半歩遅れの読書術/フランクル「夜と霧」/生には死が含まれる)

 大学一年生の娘とさいきん『夜と霧』の話をしたばかりだということもあった。

 麻耶さんは父親である宮下さんがする天国の存在や祈りといったことにはほとんど耳を貸さなかった。けれど、フランクルの『夜と霧』に感銘を受けていた。

「末期がんを宣告されてから半年間、生きる意欲を失わず、あらゆる苦痛に黙って耐え、以前と同じように誰にでも優しく、体調のよいときはよく笑った。その姿に私と妻はどれほど救われたかしれない。その陰には、苦難と絶望に面したときの態度こそが人生を決定するという、フランクルの教えがあったのだと思っている。彼の本に影響されたというより、それが娘の信念と覚悟にぴたりと一致したのだろう」

 胸がしぼりあげられるようだ。

 人は死ぬときを選べない。死に方も選べない。そして愛する人が死ぬときも、その死に方も選べない。

 当たり前のことに考えを泳がせる。

 死ぬときを自分で決めてはいけない、と毎日自分に言い聞かせなければいけなかったあの時期、「定命(じょうみょう)」という言葉を小さな紙に書いて、机の前に貼っていた。

 そして私はまだ生きている。ということは定められた命がまだあるということ、この世でまだ何かすべきことがあるということなのだろうか。

 さいきんお友だちから私のYouTube朗読サロンの「うっかり人生がすぎてしまいそうなあなたへ」のなか、荻昌弘の「人生は一度きり、やりたいことをやらずに後悔するのは卑怯だ」が心に響いた、と伝えられて、私自身がこの言葉に考えこんでしまった。

 エッセイを書いたのは32歳ころで、おそらく、そのときは「仕事」ということを中心に置いていたと思う。けれど現在はそれ以外のことが頭に浮かぶ。

 私自身の情熱のゆくえについて、考える。

 年末から「月」が私の周囲にあふれていて、『美術の力』のなかにも、高島野十郎の「月」があった。この絵のこと、すっかり忘れていた。

 あるとき近くの交差点で空を見上げたら三日月があまりにも美しくて、お友だちに送るメッセージの最初に、こんばんは、のかわりに、今夜の月はとっても綺麗、と書いた。

 あとからそのお友だちが言った。

 女性からの、月が綺麗ですね、ってメッセージになんて返そうか、すごく考えこんでしまった、と。

 無知な私は知らなかったのだけれど、お友だちから教えてもらったあと、調べてみたら、夏目漱石が、「I LOVE YOU」の翻訳として、日本人としては「月が綺麗ですね」がよいだろう、としたというエピソードがあった。有名なエピソードみたい。

 二葉亭四迷は「I LOVE YOU」あるいは「Yours」を「死んでもいいわ」と訳したとか、「私はあなたのものよ」って訳したとか。(よくわからない。ネットによると諸説あり、いろんな人が調べているので検索してみてください)。

 どちらにしても、私から月が綺麗と言われたお友だちは、とまどっただろうなあ、と考えるとおかしくなってしまう。私の職業としてはこれを当然知っているだろう、と思っただろうから。

 死んでもいいわ、という訳は悲しすぎる、とそのお友だちは言った。

 私もこころから同意した。

 けれど、やはり私のなかの、なにか、やっかいな部分が、ほんとうに同意してる? とささやく。

 いつ死ぬかわからない、死に方も決められない一度きりの人生。死んでもいいわ、って瞬間をどのくらいもてるかに、私のような人間の幸不幸はあるんじゃないの? とささやく。

 絵は高島野十郎の「月」。

「月」シリーズも「蝋燭」シリーズも、そして「けしの花」シリーズも好きで、そしていま、とっても胸うたれているから画集を買おうか考え中。

 

*「夜と霧」についての記事、いくつかあるけれどそのうちのひとつを

2017年10月24日「夜と霧」のなかに身を浸して

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