■緊急事態7日目。ソウルメイトと悲しいミューズたち
いろいろなことを我慢して家で過ごすようにして、まだ一週間ちょっとだというのに、「いつまでもつのかな私」状態になっている。
やはり一番の苦痛はタンゴを踊れないこと。昨夜はつくづくそう思った。からだがざわつくほどに。
そんなとき、届いた一通のメール。
大河内直子さんからだった。直子さんとは、しょっちゅう連絡をとりあっているわけではない。メールもとっても久しぶり。
メールの最後の一行に泣きそうになってしまった。「恋しいです」。私も恋しいです、ってほんとうに思った。
たまにしか会わない人でも、会えば話が尽きない人のひとりが直子さん。
ゼルダの舞台での出会いを懐かしく思い出す。
直子さんからメールが届いたちょっと前に、直子さんを紹介してくれた、たいせつなお友だち、りえちゃんから、彼女とも頻繁に連絡をとっていないけれど、メッセージが届いた。「逢いたいなあ」って言葉に、私も逢いたいなあ、ってほんとうに思った。彼女とも会えば話は尽きない。
こういうひとたちのことをソウルメイトと言うのだろう。
ふたりとも、もう人間として、私とはできが違う、って感じのひと。どこかのカミサマが必要だと思って私に派遣してくれたに違いないわ。
それで、演出家の大河内直子さん。この自粛ムードのなかでできることとして、こんなのを始めました、って動画を送ってくださった。翻訳の言葉も、音楽も朗読も、私の胸に沁みた。きよらかなひととき。
舞台関係の人たち、いま大変な状況に違いなく、でもできることをしようって、こうして作品を創っているひとたちがいる。そのこと自体にも、また胸熱くなった。
それで、またこれもなにか怖いほどに重なるのだけど、先日、フィッツジェラルと関連で、彼の妻であったゼルダのことをちらっと書いて、最近届いたばかりの本『才女の運命 男たちの名声の陰で』にゼルダの章があって、まっさきに読んだばかりだった。
本の帯のコピー。
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「ミューズ」の美名のもとに、男性から社会的・創造的搾取を受けてきた女性たちを呪縛から解き放つ名著、待望の復刊!」
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ミューズの美名のもとに……
!
私はこの言葉にいとも簡単に釣り上げられて本を購入した。
ミューズをライフワークしているからには、やはり読まなきゃ。
日本語版への前書きの一部。
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この本は、こうした悲しい例に満ちている。カップルたちは双方にとって生産的で、ハーモニーあふれる共同生活を期待していたのに、その大いなる期待は、日常生活のなかで行きづまってしまう。人生の夢に対して代償を払わなければならないのは、ほとんどいつも女性たちである。(略)
この本は、こうした天才の犠牲になった女性たちの物語を伝えようとしている。彼女たちは単に犠牲者というだけではなく、加害者でもあり、またそれ以上に、記憶される価値のある才能豊かな芸術家、そして学者たちだった。
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天才たちは誰がとりあげられているかといえば、トルストイ、マルクス、シューマン、ロダン、アインシュタイン、リルケ、ロヴィス・コリント、カール・バルト、そしてフィッツジェラルド。
超有名なひとたちばかり。でも彼らのパートナーでもある才女たちについては、ほとんど知られていないということ。
時代があるからね、現代はもちろんかなり違ってきてはいるけれど、その時代、その境遇のなかで彼女たちがなにと闘い、そしてこわれていったか、読んでいてつらくなる。
だって、なにと闘ったかといえば、もちろん女性を男性と同等の人間として認めない社会、もあるんだけど、いちばんの相手は「愛するひと、かつて愛したひと」だったから。
彼女たちがいて、その後もたくさんの女性たちが、あらゆるやり方で、それぞれのやり方で、存在を主張し、ときに闘い、ときにうちひしがれ、こわれ、そしていまがある。
個人と個人の問題で考える、というのが私の基本。けれど、社会状況がそれに影響しないはずはない。
自分の作品を創る時間が私にはある。過去に比べれば、軽く3倍はある。そしてそれを発表できる場がある。やるべきことはあきらか。
って、自分に気合を入れてみるか。だってそうでもしないと、うつうつうつーってしちゃうから。