■緊急事態18日目。死と批判の耐性、赤い靴
今日のニュース。日本のコロナ死亡者数348人に。
死因がコロナだとされている人数。
けれど死因は、自殺と同じでひとつではないはず。体はひとつの宇宙というくらいだから、さまざまな要因があるのは当然のこと。
自殺と同じ……と書いて、ふと気になってリサーチ。
警察庁HPでの発表。3月の自殺者数は1701人。昨年比で9%の減少。
3月はもっとも自殺の多い時期。これはよーくわかる。
さいきん、よく考えていること。問題は「何で、どのように」死ぬのかってこと。もちろん死は自死以外は、選べない。そして私は自死を否定したい。
『逃避の名言集』を書いた真の目的は、本の最後にぎゅ、って凝縮されている。さんざん「〜から逃げたい」と言ってきて、私はこう書いている。
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嫌なことから逃げること、逃避は人間にそなわった能力のひとつ、その能力を充分に生かしましょう。
ただ、ここで、注意しないといけないことがあります。
それは、なんのための逃避ですか?
ということです。
そうです。
人生を生き抜くための逃避です。
ですから、なんとしても、人生そのものは生き抜きます。生き抜かなければいけないのです。
大小さまざまな逃避を繰り返しながら、自死することなく生き抜けたなら、もう充分ではないでしょうか。誇らしいことではないでしょうか。
というわけで、ラストの章のタイトルは「人生からは逃げたくない」です。
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これは、ほんと、自分に言い聞かせるように書いたことをよく覚えている。
定命(じょうみょう)、定められた命ある限り、なんとしても生き抜かなければ。
いまも、そう自分に言い聞かせてきている。
生きる、もうそれだけで充分。けれど、欲張りモードのときは、できるだけ、「死んでもいい」って思えるほどの充実のときをもちたいと願う。
今日は「要」「急」の外出をした。長時間、家の外で過ごすのは、ほんとうに久しぶりだった。
半年くらい前に、春になったら履こう、って楽しみにしていた赤いエネメルのシューズをはじめて履いた。新しい靴はスキップしたくなるくらいに、こころを華やがせてくれた。
帰宅して、むしょうにアナイス・ニンの日記が読みたくなった。
いつも近くにあるアナイスの本、たくさんのなかから『アナイス・ニンの日記』。
これは無削除版ではなくて編集版。
今日はこの箇所が目にとまった。
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わたしには批判の耐性がない。
人を批判することに耐えられないので、わたしは矛先をほかのものに向ける。
攻撃されたり批判されたりしたら、相手と縁を切る。
だが、それだけではないのだ。
攻撃されて縁を切るのは、自分の怒りを怖れるからである。
真の問題は、いかに怒りと相対するかだ。
あまりに長いこと抑えていた怒りは、ダイナマイト並みに強力なものになってしまった。
溜め込んできた怒りが、いまにも爆発しそうで怖ろしい。
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アナイス54歳。
あと少しで私もこの年齢に。
批判への耐性がない。溜め込んできた怒り。
私は、激しく共感する。
そしてサガンと似た香りを感じる。
そういうひとがいてもいいよね、って思える。
この文章に共感するような私の性質だって、いいよね、って思える。
そして、いつも、ここ読むと泣いてしまうのだけど、今回も。
73歳で亡くなったアナイス。
「だからわたしは音楽のなかで、音楽のなかへ、音楽とともに、死んでいく。」
この箇所をめぐるエピソードについては過去に書いているので、これはぜひとも読んでいただきたいです。
今日は頭が回らないからもうおしまい。
さいきん、よく眠れないから今日は眠れますように。