■「枯葉」モード
2022/09/21
写真家ブラッサイがピカソとの交流を書いた本『語るピカソ』、1940年ころから20年間くらいのことが書いてあり、登場人物が、詩人のエリュアールにしてもコクトーにしても作家のカミュにしても、次から次へと私が好きな人たちが出てきて面白い。
いま、次の部分を読んだとき、仕事の手を休めて別のことをしてしまった。そう、YouTubeやiTunesで、さまざまな「枯葉」を聴いてしまったのです。
なぜなら、このところの私の気分にぴったりだったから。
きっかけとなった箇所の記述を抜粋・要約するとこんなかんじ。
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マルセル・カルネ(映画監督)、ジャック・プレヴェール(詩人)、ジョゼフ・コスマ(作曲家)、そして僕がカフェに集い、制作予定の映画『夜の門』について話し合った。(注:彼らはブラッサイ以外は名作『天井桟敷の人々』のメンバー)。
『夜の門』のキャストとして声をかけていたマレーネ・ディートリッヒとジャン・ギャバンが来るはずだったが、来たのはギャバンだけだった。
コスマがピアノの前に座った。プレヴェールがギャバンに言った。
「君が映画のなかで唄うシャンソンだよ」
コスマが曲を弾き始める。楽譜を見ながらギャバンが自信なさそうな声で口ずさみ始める。
…僕たちは戦後世界を風靡したシャンソンの傑作、あの『枯葉』の誕生に立ち会っていたのだ。
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こういうのって、ほんとうにぞくぞくっとする。ぞくぞくっ。
結局、ディートリッヒもギャバンも「映画が描き出すパリがあまりにも惨めすぎる」という理由で出演を断った。このふたりは恋人同士でもあったのね。
かわりに役を引き受けたイヴ・モンタン(ピアフが愛し育てた歌手、のちにマリリン・モンローと「恋をしましょう」で共演、恋愛関係になるけどマリリンをふってしまうの)が「枯葉」を歌った。
映画も歌もあまりヒットしなかった。残念。
けれどその後ジュリエット・グレコがカバーしたことにより大ヒットし、有名になる。のちにピアフもカバーしている。
ピアフはもちろんグレコも、私が好きな歌手。そしてグレコとサガンは一時期恋愛関係にあった。
…って、大好きな人たちがこうつながってくると、私は、もうほんとうに、この時代、この人たちのなかに身投げをしたくなる。もちろん何らかの才能をもった人として(これ重要、なにがいいかなあ、夢見るのは自由)。あー。たまらないだろうなあ。
それで、『枯葉』。
対訳つきのグレコの映像があったからここに。グレコ40歳。字幕では男性が主人公となっているけど、私はいつも自分を主人公として、この歌を聴くのでした。
というわけで、私訳を。
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ああ、あなたに思い出してほしい。
私たちが愛し合っていた日々を。
人生はすばらしく、太陽もいまよりずっと輝いていたわね。
私、忘れていない。
…枯葉がたくさん吹き集められている。
たくさんの思い出も未練も
きっと枯葉のように北の風がまきあげて
忘却の彼方に運び去ってゆくのね。
私、忘れていない。
あなたが歌ってくれた歌を。
私たちのため、私たちにぴったりだった歌を。
あなたは私を愛し、私はあなたを愛していた。
私たち、ふたり一緒に生きていた。
私を愛するあなたと、あなたを愛する私、ふたり一緒に。
でも人生は恋人たちを引き裂くの、そっと、音も立てずに。
そして波が消し去るの。
砂の上の、結ばれない恋人たちの足跡を。
***
ああ。せつなすぎる。もうだめ…。パタ。
YouTubeこちらご覧ください。(赤と黒の世界のグレコ)
このところ、いろんなことが身の回りで起きているのに、ここに書くことができない。じゃあ、日記でもつけるか、とも思うのだけど、それもしない。エネルギーの枯渇だろうか。かなしい。
8/31はダイアナ没後25年、9/1はブルーモーメント2周年記念、両日とも、書こう、と思ったのに、いろんなことに負けてしまった。
昨日開催するはずだったトークイベントの中止も、なんらかの影響をおよぼしているのかもしれない。
力が入らなくてすべてが無意味に思えるような日を送っても、以前よりも自分を責めないし絶望もない。生きているだけでよしとしよう、みたいなところに無理なく立てるようになっている、って、これ、どうよ、とも思うけど。