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▽メトロで恋して

 

20161027-2-2

 

「許さない」

「許さないわ」

「許せない」

「ぜったいに許さない」

「許すものか」

「やっぱり許せない」

「許せるはずがなかった」

頭のなかで、ぐるぐる回って眠れないくらい。

『メトロで恋して』 パリの、しゃれた恋愛物語的な要素もあるけれど、恋人がHIV陽性だったら。 というテーマがあるから、「考えなさいね」という映画なのだと思う。

私は多くの映画のようにこの映画もまた、はっきりと「人間的器の格差物語」を内包していると思った。

主人公の男性と女性。 ふたりが恋におちる瞬間は、とっても美しく、そして恋におちる瞬間をみごとに描いていて、うっとりとした。
メトロのね、車内でフォーリンラヴ。……ほんと、うっとり。
私もメトロに走ろうと思ったくらい。

けれど、「恋人がHIV陽性だったら」というテーマが、浮わついている恋人たちに重くのしかかる。

この場合は女性のほうが陽性。
それで、男性はこの現実を受け止められずに、逃げる。
でも逃げたことに苦しむ。彼女が忘れられない、でも、自分の未来も大切だし、と、そういうレベルで悩む。

彼女は傷つく。そりゃあそうよ。傷つくわ。すごく好きだと思っていた相手だったし、彼からも愛されていると思っていたのに、逃げちゃうんだよ。

少しだけ時が流れ、彼は、 やっぱり彼女が好きだから一緒にいたいんだ、俺。……陽性だけど彼女を受け入れよう。
と、彼女のもとを訪れる。そして彼女にそれを伝えるけれど、その答えが 「許さない」 なのでした。

私は、彼女が大好きだと思った。 なぜなら、私にできないことできていて、私はそれを美しいと思うから。

だって、彼が彼女にしたことは、たぶん、一線を越えている。

私は一線だろうが二線だろうが、越えちゃっていても、許してしまう。おそらく。

それで、彼はその彼女の返事を聞いて、悲しそうに微笑む。

私はこれが、むしょうに、嫌だった。

あなた、いま、きっと、ほっとしたよね。 自分は彼女からいったん逃げてしまったけれど、人間としての良心、それから彼女への愛情から、彼女を支えようと気持ちを変えた。 けれど彼女が許してくれなかった。なら、しかたがない……。 って、ほっとしたよね。 しかも、自分はちゃんと彼女を支えようと決心した、っていう自己満足つき。

ちいさい。貧しい。私はかなしい。とてもいやだ。

彼女はたぶん、それを知っていて、彼への愛があったにしても、いいえ、あればなおさらに「許せない」と彼を突き放したのだと思う。

あなたには無理。私の病気を受けとめることは、あなたには、無理。って見切ったのだと私は思う。

彼女と彼との間には、最初から人間的器の格差があった。

いくつかのシーンを思い起こしてみれば、たしかにあった。

けれど恋って、人間的器なんてものを吹っ飛ばしてしまうくらいの狂気があるから、関係なくなってしまうものだから。 けれど、なにかの「現実」で、その格差をつきつけられたとき、ふたりの関係はたしかに終わるのだと思う。

なんだか、さまざまなシーンを、もう一度観たくなる、そういう映画のひとつ。

そして、私は、彼女の「許せない」という言葉に支配され、 「ほんとうは許せないこと」を、せっせと目の前に積み上げて、ひとりで苦しくなっている。 ばかみたい。

まったく、1年前は、マーク・トウェインの「すみやかに許し、くちづけはゆっくりと」でいくわ、とか言っていなかったっけ。

調べたら、言っていました。 1年半前、49歳の誕生日でした。↓……ああ。

◆誕生日

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