▽映画 ◎Tango アルゼンチンタンゴ ブログ「言葉美術館」 私のタンゴライフ
◆タンゴ記念日
2023/09/10
はじまりは、『ラスト・タンゴ』だった。
2016年7月9日、渋谷の文化村「ル・シネマ」で鑑賞したこの映画が、私の人生にタンゴをもたらした。
その映画について私は2016年の終わりに、このブログ「言葉美術館」で、こんなふうに書いている。(全部読みたい方はこちら)。
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2015年の私自身の標語がマーク・トウェインの「すみやかに許し、くちづけはゆっくりと」だったとしたら、2016年は「憎しみを創作活動に」だったかな、と思う。
「憎しみ……」は、今年観た映画の中のナンバーワン『ラスト・タンゴ』、伝説の、そして現役のタンゴ・ダンサー、マリア・ニエベスのセリフにインスパイアされた私の言葉だ。
マリア・ニエベスはパートナーのコペスを激しく愛し、そして激しく憎んだ。愛しているときも憎んでいるときも、タンゴを踊った。憎んでいたときのダンスについて「あれは憎しみのダンスだった」と言った。
私はこのセリフに強く胸を突かれて、タンゴの世界に、それまでも好きではあったけれど、強くいざなわれたのだった。
憎しみでもいいんだ、それでも、あんなふうにすごいタンゴが踊れるんだ、いや、憎しみがあればこそ、あのような凄みのあるタンゴが可能だったのではないか。だとしたら、私は、自分のなかに生息し始めた憎しみという感情を前に、悲しく打ちひしがれていたけれど、そうではなくて、その憎しみを受け入れ、創作活動のエナジーとし、昇華させればいいのではないか、そんなふうに考えるようになった。このように考えられるようになったことは、確実に、救いだった。
タンゴは私のような人間を拒絶しない。
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実はこの文章の先には続きがあって、ノートから書き写してみる。ノートの日付は2016年8月10日となっている。
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こんなに胸に響き、そして憎しみもオッケーなタンゴなら私は入ってゆけるかもしれないと思えた。そして綺麗ごとの愛だけではない、憎しみも当たり前のように受け入れるタンゴは、人生そのものなのだと、私はたしかに理解した。
からだの内側、奥の奥に響くタンゴ。シャンソンが心の奥の情感にうったえてくるとしたら、タンゴはもっと身体的、内臓に響くかんじがする。
シャンソンが涙という体液を誘発するものだとすれば、タンゴは愛液という体液を誘発するのではないか。
私の血、私の血管を流れるこの血のなかの、いつもは目立たなくおとなしくしている血が騒ぎだす、そんなかんじがする。
それは「生」の実感でもある。
けれどその感覚は、優しい性愛のあとの涙のような、そういう種類のものではない。もっと力強いものだ。
タンゴは私を、しなやかに、強か(したたか)に剛く(つよく)してくれる、そんな予感がする。
私の人生にタンゴが入ってくるのだろうか。まだわからない。なにしろまだ一週間前に、はじめて「タンゴを踊った」ばかりなのだから。
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そう、これをノートに書いた一週間前、2016年8月3日は、はじめて「タンゴを踊った」日。
私のタンゴ記念日。50歳の夏。
『ラスト・タンゴ』は映画館で3回観た。その映画館に小さなちらしが置いてあって、私はそれを見て興奮した。「アルゼンチンタンゴ界の母マリア・ニエベス日本校」なんて書いてあるのだから。四ツ谷にあるARGENTINA BAR「SinRumbo(シン・ルンボ)」、レッスンもあるらしい。
後日、映画を一緒に観に行ったお友だちと「シン・ルンボ」に行った。
18時。ドアを開ける。お香の香りがふんわりと漂っている。時間が早すぎるのだろう、誰もいない。ダンスフロアっぽいスペースと丸テーブルがいくつか。お店にはタンゴが流れている。何の曲かはわからないけれど、異様なほどに居心地がよい。「ずっとここにいたい」、とはじめてそこに足を踏み入れたばかりなのに、強烈に想ったことはよく覚えている。
奥から、男性が現れた。ちょっと驚いたような表情をしている。予約も何もなしでいきなり行ってしまったからかな。
タンゴを習いたいと思っているんです。でも私は「踊る」ということをしたことがなくて音楽のセンスもないのですけれど、と自己紹介めいたことをして『ラスト・タンゴ』の「憎しみ」の話をした。
その男性は言った。
「一曲踊ってみませんか。まだレッスンじゃないから、ステップなどはいっさい気にしなくていいので」
彼が私の手をとる。僕の動きを感じてください。彼はゆっくりと左右に身体を動かす。わずかに、わずかに揺れる。私は彼の動きに合わせて体重を移動させる。
私、おかしいのだろうか。もう、すでに、その時点で、未知の感覚、なにかとてもよい感覚のなかにいた。
これが基本です、この僕の動きを感じることが基本です。私は頷く。それから一曲、フロアを私は彼に導かれるまま、まわった。とにかく何も考えないように(そうでなくたって考えすぎる性質なのだから)、色々なことを頭で考えないように、目を閉じた。
タンゴのリズムはもちろん耳から入ってくる。けれど私は、ひたすら、ただただ、彼の動きに、すべてを委ねていた。だって、委ねないことには、どうにもならない状況なのだから。それにしても、誰かに完全に自分を委ねるって、なんて新鮮なのだろう。
完全に自分を委ねるなんて、私の人生になかった。ぜったい皆無だ。
そういう意味でも、2016年8月3日18時30分、あの瞬間は私の人生における、ひとつの、小さな、けれど、おそらく大きな意味をもつ瞬間だった。たぶん、私、タンゴをはじめて踊ったのだ。極上のひとときだった。
このときの男性、はじめて私がタンゴを踊った人が、私のタンゴの先生、なかやまたけし先生で、先生はマリア・ニエベスから直接、教えを受けていた。
ようするに、私はマリア・ニエベスの弟子である方からタンゴを習っているということ。これを幸運と言わずして何と言おうか。
私は、いま、私をシン・ルンボに連れて行ってくれたお友だちに深く感謝をしている。ひとりで新たなドアを開けるのは、あのころの私には、おそらくできなかった。
私は少しずつ、タンゴに惹かれてゆき、一年が経ったいまはタンゴなしの人生が考えられないまでになった。
それなのに、いままでタンゴについてふれないできたのは理由がある。
ひとつは、まだ確信がもてないでいたから。私が移り気なことは、私自身が一番よく知っている。もうひとつは、あまりにも大切なものすぎたから。ほんとうに大切なもの、大切なことは自分のなかにしまっておきたいものだから。
けれど、すでに人生の一部になっているタンゴのことを内緒にし続けるのはもう無理。っていうか、私のような物書きには不可能でしょう。だから、これからは「私のタンゴ」のことを書いてゆこうと思う。いつものように、ひじょうに個人的な内容になることは間違いないだろうな。
タンゴは仕事ではない。いわゆる「趣味」なのだろう。でも、私にとっては「真剣な趣味」なのです。
*写真は、もう何度観たかわからない『ラスト・タンゴ』DVDとはじめて買ったタンゴ・シューズ。