ゆかいな仲間たち よいこの映画時間

◎68本目『おやすみなさいを言いたくて』

【あらすじ】
舞台はアイルランドの海辺の町。夫と2人の娘という家族のある報道写真家レベッカ(ジュリエット・ビノシュ)にとって、紛争地域にのりこみ、戦争の真実を伝えることが自らの使命。けれどある日、取材中爆撃を受け命の危機にさらされ、家族から今後は危険な場所には行かないと約束することに。この約束をきっかけに家族第一の生活を始めようと努力し、家族の本心と向かい合うことになるのですが・・・。

 

路子
路子
この映画は、ほんとに好き。この映画のビノシュの演技はすごい。
演技とか、こだわりとかもすごいですよね。
この役をやるために、メモリーカード1枚にしても、プロのカメラマンが使っている機材を選んで使っていたって、映画の記事で見たとこがあります。
ひとつひとつの仕事に対して、いつも真摯ですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
まなざしとか、意気込みとか、本当に戦場カメラマンだと思ってしまうくらいなりきってると思う。娘に責められている時の表情とかもリアルだもの。
ビノシュの映画の中では、かなりおすすめの作品。
私も路子さんに勧められて、『アクトレス』以外でビノシュいいなって思った作品でした。『アクトレス』以外でのビノシュを全然観てない頃に(笑)。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
私はビノシュが好きだから、彼女の出演作をたくさん観てきて、すごい人だなって思っていたけれど、この映画はさらに上をいく作品だと思う。でもあまり話題になっていないのが残念!

 


 

路子
路子
長女とレベッカが車の中で話すシーンのことをブログ(「おやすみなさいを言いたくて」)で書いているの。

路子
路子
「いつかあなたが大人になって自分と向き合ったとき、抑えきれない何かが自分の中にあるのが分かる。私は止めようのない何かを始めてしまったの。終わらせ方を探さないと」というレベッカの言葉と、いくつかのやりとりの後、娘がレベッカに向けて一眼レフのシャッターを切り続けるシーンが印象に残った。
娘が「ママが死んじゃえば、皆で悲しんで、それでおわり」と、言った後に、シャッターを切り続けるんですよね。私も印象的なシーンだと思いました。
と、いうのも、ロエベとのコラボレーションなどをしている写真家のfumiko imanoの個展「i shot myself-セルフポートレートって自虐的」を観に行った時に、こう書いてあったんです。
りきマルソー
りきマルソー

「英語で写真を撮る事を“shoot”という
shootは元々銃で撃つという意味もある
そうであれば
カメラは銃とおなじということになる
そのカメラ
(銃gun)は本来は他に向けるものであり
カメラを自分に向けて
セルフポートレートを撮っているじぶんは
もし、それが銃だとすれば
毎回自殺をしているということなのだろうか?」

だからあのシーンで、娘がレベッカに対してシャッターを切り続けているのは、お母さんなんていなくなっちゃえ的な考えとして、銃で撃っているみたいな意味合いもあるのかなって思ったんです。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
fumiko imanoの観点、秀逸。
この映画を初めて観た時は、銃とまでは連想しなかったけれど、いつもはシャッターを切る側である母親に、娘がシャッターを切っているという状況に攻撃性を感じた。
しかも結構長い間、シャッターを切り続けるのよね。

そうですね。
りきマルソー
りきマルソー

 


 

路子
路子
そもそも戦場カメラマンという職種の人が家庭を持つの?

持つと思いますよ。
テレビを観たりしていると、奥さんがいる人が捕まってしまったみたいなニュース、時々ありますよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
たしかにそうよね。
夫のマーカスは、レベッカの戦場カメラマンへの情熱に惹かれてたって言ってたのに…。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
あんなにもうダメダメ言っちゃってね。
情熱を超えるものが出てきちゃったってことですよね?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
その「情熱」が自分の想定外だったのよ。
「情熱」より、レベッカを心配するのにもう疲れたという気持ちが大きくなってきたとか。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
あとは子どもたちがいるから、もっと家庭のことを考えて欲しかったのだと思う。
待つ方の身としては、辛いですよね。
死んじゃうかもしれないという不安が常に付き纏うんですもんね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
戦場カメラマンは家庭を持つの? ってきいた理由はそこなの。
私は嫌よ、戦争に行くのが仕事なんて。

 

 

路子
路子
以前、この映画のことをブログで書いた時、戦場カメラマンのレベッカを肯定していて、「抑えきれない何かが自分の中にある」とわかってしまった人たちが「家庭」というものをもった時の共通のテーマ」と書いた。
そして、少女が自爆テロをのために爆弾を巻かれている時に、シャッターを切れないでいるラストシーンのことを「もうなんともいえない感情が胸を、身体じゅうを絞り上げて、そののち、ヒロインと同じように膝の力が抜けるようになる。どうにもならない想いがすべてを覆いつくす。」と、書いた。
今回改めて観た時もその想いは変わらなかった。
でも、なぜシャッターを切れなかったのか。何が言いたかったんだろう。

娘と同世代の子が自爆テロをしているというのを目の当たりにして、ショックを受けたというのも、もちろんあると思います。
でも、レベッカは写真を撮ることで、自分の持っている「怒り」を冷静にさせている部分がありますよね。ラストシーンでは、その「怒り」すらも通り越してしまっていたんじゃないですかね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
それは無力感みたいなもの?
そうですね…周りの人もどうしようもできないんですよね。いくら彼女が止めなきゃと言っても。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
周りの人も、上からの命令でやっているもの。イスラムの世界だから、神のためにという理由でやっているのだろうけど。
路子
路子
家族か仕事か、という選択もあったでしょう?
「世界には(戦場カメラマンとしての)ママを必要としている人がいる、(だから戦場に行って)」と娘が言ってくれたこともあって、家族の不安という大きな犠牲と引き換えに戦場に来たのに、肝心のところでシャッターを押せなかったのを見て、レベッカの選択はどうだったんだろうって。
ここには、映画としてね、戦場カメラマンという道を突き進むという生き方を美化しない感じがした。

 

 

もしレベッカは家族のことがなかったら、シャッターを押せていたと思いますか?
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
娘がいなかったら押せていたかもしれない。
自爆テロをやっている子が、娘と同世代というのはシャッターを押せなかった理由としては大きいと思う。
意味深いよね。自分だけのことなら、爆撃のさなかでもシャッターを押すような人なのにね。
路子
路子
ジェーン・バーキンの話を思い出したな。ジェーンが人道支援のために遠くに出かけていて、家に帰ったとき娘が「ママがいなくて寂しかったよ」って言うの。それに対してジェーンはこう言ったのよ。「あなたよりもママを必要としている人がいたのよ」って。

 

~今回の映画~
『おやすみなさいを言いたくて』 2013年 ノルウェー・アイルランド・スウェーデン
監督:エリック・ポップ
出演:ジュリエット・ビノシュ/ニコライ・コスター=ワルドウ

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