ゆかいな仲間たち よいこの映画時間

☆7本目 『愛のあしあと』

2021/11/05


【あらすじ】
靴屋の店員だったマドレーヌ(リュディヴィーヌ・サニエ)は、ちょっとしたきっかけで娼婦としても働き始めました。
お客さんだった医師の男性と結婚し、娘のヴェラが生まれますが…。

路子
路子
『愛のあしあと』はどうでしたか? どういう風にりきちゃんが観てるだろう、面白いなって思いながら私も昨日観てたの。
ミュージカルなんですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
私も観ながら思い出したの。ダメね、全部忘れてて(笑)。 まあミュージカル程ではないけれどね。
そうそうそう。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
『8人の女たち』くらいでしょう?
たしかに。1960年代ぐらいの明るくオシャレな感じで進むと思いきや、結構トーンが暗くなっていきますよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
かなり暗くなるわね。
カトリーヌ・ドヌーヴ演じるマドレーヌの若い頃は、リュディヴィーヌ・サニエが演じてるんですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうそう。

このドヌーヴは結構好きかも。カトリーヌ・ドヌーヴは、そんなに興味が無くて、皆が熱狂する程の気持ちも全然無い。きらびやかです!みたいなイメージがあるし、私はあまりそういう人は好きではないので、気になってはいなかったんですけど。今回のドヌーヴは凄く良かった。マドレーヌをベースに話が進んで、その中に娘のヴェラが関わっていたり。自由奔放とはまた違いますね。
りきマルソー
りきマルソー


路子
路子
そうなのよね。

出ている女の人がみんな、愛に飢えている気がしました。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう、全員ね。
ひとりの人では補えないから、他の人ととも、というのをそんなに悪いとは思っていない人達の話ですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうそう。
そういうのが受け入れられない人にとっては、もの凄く嫌悪感を抱く映画でしょうね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
たしかにそうね。
あっ、そんな娼婦だなんてダメ!って思って終わってしまう可能性がある。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
結婚してるのに…とかね。
そうそう。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
確かにね。
ルイ・ガレルが良かった(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうそう、りきちゃんの大好きなルイ・ガレルが出演していたわね。
唄ってる姿を拝めるなんて、ありがたやありがたや。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
想いが叶わないちょっと悲惨な役柄だったけれど。
年代が進んでいく話なので、登場人物の見た目も変わっていくじゃないですか? ルイ・ガレルの見た目の変わり方とかも、やだ、そんな風に老けていくのねって。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
良かった?
1本の映画でそんなにたくさんの変化を見せてもらえて嬉しい。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
ルイ・ガレルが良い味出してたわね。あの登場人物の中で効いてたわ。


路子
路子
とにかくこの映画、急に観たいと思ったの。何かきっかけがあった訳では無いんだけど。まあきっかけは色々あったんだろうな…。
今の自分を責めなくても良い、複雑である状態をそれで良いんだと、思わせてくれる映画が観たいと思って。自分で観たのをブログに書いてはいたけれど、そんなに詳しくは書いてなかったの。何でこんな名作を騒がないんだって事を書いてあった。そうだ、私とても感動したんだったわ、今度「よいこの映画時間」で話したいと思って、DVDまで買ってしまったの。

路子
路子
今りきちゃんが言ってた通りの映画なのよね。複雑で、いいかげんで、全て筋が通っていなくてもいいんだと、思える。そんな風に、ある種の人達の人生は理路整然といかないんだって。
この映画に出てくる人達って業を背負ってきているから、求める気持ちが強いのはどうにもならないの。だから、そういう種類の人達にとっては、こういう人生でしかあり得ないっていうのがとても分かる。

路子
路子
10年ぐらいが描かれているくらいなら分からないと思うけれど、50年ぐらいの流れが描かれている事によって大きく人生を捉えられる。マドレーヌが年齢を重ねて、元旦那さんとアヴァンチュールを楽しみ、でも結婚相手とも関係を維持している。何歳になっても同じ事ををやってるんだという所に凄くほっとするし、私はそういうのが好きだし、そういう人生が良いって思えた。

歳とか本当に関係無いですよね。みんな全然ブレない。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
うん、そうね。ある意味全然ブレてない(笑)。
路子
路子
メインで出てくるマドレーヌの子どもヴェラを演じているキアラ・マストロヤンニ。お父さんのマルチェロ・マストロヤンニは好き?
そんなには惹かれなかったかな。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
でも、りきちゃんの好きなイタリア映画よ(笑)。
(私がイタリア映画の台詞ものまねをするだけであって、実際には苦手なイタリア映画)
(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
『ひまわり』がマルチェロだし、私は彼が出ている映画をいっぱい観てるの。ドヌーヴと恋愛関係があり、その間に生まれた子どもがキアラ・マストロヤンニ。だからキアラ・マストロヤンニというと、ドヌーヴとマストロヤンニのサラブレッドなんだなっていう目で見る。本当に笑っちゃうくらいマルチェロ・マストロヤンニに似てるのよ。鼻の横からの形とか、笑い方とか。そういう変な見方をしてしまったけれど、そのキアラが凄い存在感だった。私、彼女好きなの。サニエも好きだし、全員魅力的。 そういう意味でもこの映画に惹かれてしまう。マドレーヌが若い頃に働いている靴屋さんの店員の雰囲気も可愛い。いろんな映画に対するオマージュが感じられるし、最初も最後も「靴」で、という描き方も好き。サニエが魅力的よね?
サニエ良いですよね。サニエじゃなかったら、こんなに許される感じには描かれなかったと思います。他の人だったら、受け入れられなかったり、嫌悪感を感じてしまうような見方がされてしまうかもしれない。ちょっと小悪魔的にやっちゃうよ。いいよ、進んじゃおう! みたいな雰囲気がサニエにはあるからピッタリでしたね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
メイクも60年代風、髪もボリューミーにしているから、本当にドヌーヴの若い頃なんだ、というのがそんなに違和感無かったし、若い時のドヌーヴのメイクを意識しているから本当にドヌーヴの若い時みたいだな、と思った。色彩も『シェルブールの雨傘』とかを思い出した。りきちゃんがあのドヌーヴは割と好きだって言ってたけれど、本当に全然主張が無いよね。
大女優だし、大女優になってくるとメインです!みたいな雰囲気が出るじゃないですか。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
はい、登場しました! みたいなね。
はい、私です! みたいな(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
それが無いでしょう?
そうそうそう。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
本当に綺麗めな普通のおばさん的な感じ。そんなに自己主張がバリバリでもなく、思想がそんなにあるわけでもない、世間的にも尊敬される人物ではない。でも求められれば逢引きに行っちゃうし。そういうのが良く出ていたし、とても自然だった。
若いからこその迷いは感じられるけど、常に自分に正直ですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうなのよ。
離婚して再婚した後に元旦那が来ても、すんなり受け入れてる。「もっと早く来ると思ってた」みたいに言っちゃうし。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうそう。悪びれずにね。年を取ってから、ヴェラの部屋でパパとママが裸でベッドにいるシーンがあるでしょう? そういうシーンも「パパと会って話をしていたら、パパが触り始めたから」って言うのよね(笑)。そういった所も、何も考えのないおばさまでしょ? でもそれが私凄く好きなのよね。ああいう感じが良いな、どうして皆そういう風に出来ないんだろうと、思ったりして。前回『アメリ』を観て、今回この作品を観たから、良いのか悪いのか分からないけれど、軌道修正が出来た感じ。私やっぱりこっちだ!みたいな。
ちょっと迷いがあったんですか?
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
あったのかもしれないわね。いい子ちゃんしてたのかしら?、というのがあった。


路子
路子
私が今回一番興味があったのは、ヴェラの愛の求め方。ルイ・ガレル演じる(ルイ・ガレル)を小脇に抱えキープしつつ、でも本命では無いのよね。

クレマンとしては、ヴェラに対して本命の気持ちはあったのに。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうそう。クレマンはヴェラの事を凄く好きだけど、ヴェラは友達プラスαくらいでそんなに本気では無いし、ゲイのヘンダーソンに魅かれていく。恋人同士にはなれないけれどゲイの人に魅かれるって、一方的な叶わぬ恋なわけでしょう? それも分かった上で何年も想い続けてる。
最後は9.11が起こった。あの時はいろんな人が混乱した。命の大切さや儚さというのを知って混乱している中の一人としてヴェラも描かれていた。たまたま同じタイミングだったのかもしれないけれど、子どもが欲しい、という気持ちが出てくる。でもヘンダーソンはゲイだし、HIVだからと断る。ああいう気持ちは分かるのだけれど、それを拒否され自殺をする時の、どれほどの絶望だったのか、という気持ちは私にはよく分からなかった。
拒否された後にヘンダーソンとヘンダーソンの連れが居る部屋に戻って3人でセックスするシーンがありますけど、拒否されただけでは自殺しようとは思わなかったかと。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
じゃあ3人でセックスをした時に何か深く腑に落ちる物があった、という事なのかしら。
そんな感じがします
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうよね。セックスの後、薬を大量に飲んで下のバーに行って死ぬんだものね。
ただでさえ、9.11の事で精神的に不安定になっていたし、そういうのと重なってっていうのはあるかもしれない。でも、3人でセックスした事で…。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
もういいや、という感じがあったのかしら? もういいやっていうと変な感じだけれど、分かるような気がする。
そういう考えはもう止めたいって事ですかね?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
上手く言えないけど、気が済んだ感じ。分からないけど、今そんな感じがした。
たしかに。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
全ての事に気が済んじゃったのかしらね。
子どもが欲しいと言っていたのは、本当に欲しかったからかもしれないけれど、ヘンダーソンとセックスがしたかったのも理由のひとつですかね?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
あそこででセックスの事は考えていなかったと思う。精子を消毒すればHIVでも子どもが出来ると言っていたけれど、それは多分人工授精の事だから、ヘンダーソンとのセックスは諦めてると思う。諦めてるけれどヘンダーソンの事がとても好きだから、彼との子どもが欲しい、という気持ちも凄く分かる。拒否するヘンダーソンの気持ちも分かる。そりゃ、私が男でもそれは良くないって拒否するわよ。
だけど、子どもも作れないんだと思い、何となく3人でのセックスになり…気が済んだとしか言いようがないわね。疲れていて休みたいなと、思っている時に、自分の中で重要な事件が起こり、もういいかなと、思う感じ。だからそんなに深い理由は無いような気がする。マドレーヌは娘のヴェラを愛しているけど、ヴェラのそういう気持ちをどうにも出来なかった。電話とかをしているけれど、ストッパーとしての役割にはならなかった。
全編を通して、ヴェラの生き方の中に、生にしがみつくというか、生きていく事に必死になっている感じがしなかったですよね。どこか投げやりというか、諦めというか。そういうのが最初から感じられました。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
生に対する執着が無いのよね。だから娘に対する愛情もあるんだろうけど、そんなに強烈に示されてはいない。全てにおいてそういうところがあるのかもしれない。
だからふとした瞬間に死を選んでしまったのかもしれませんね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ヘンダーソンの事が凄く好きだったのかしら? 3人でどういうセックスをしたのかなって思ったの。
あくまでもヘンダーソンの連れである若い青年は、補助的でしたよね。ちょっとしたスパイスを投げ込む役割。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
役割作りみたいな感じだったわよね。
子どもを作りたいって話した後、部屋に帰ったヘンダーソンが若い連れと寄り添って泣き始めるじゃないですか? そこでそういう話をされたって聞いたのか、何か感じ取ったからなのかはわからないですが、そういう部分を知ったから何かきっかけを作りたかったのかな。結局ヴェラは自殺してしまったし、必ずしもそのきっかけが良かったとは限らないけれど。ヴェラとヘンダーソンは本当に物凄く惹かれ合ってますよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
凄く強烈に。異性愛みたいなまなざしで見ているのよね。
ゲイで何も出来ないのに、ずっと君の事を考えていた、と言ったりしていますね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ふたりが見つめ合ってるまなざしや、交わしてる会話は、恋人そのものでしょう?
だからちょっと分からないですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
分からない。そうなのよ。
ゲイだという事を主張をしているけれど、あまりにも2人の関係が自然過ぎて分からなくなる。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ゲイだからセックス出来ないと、話をした後、クレマンのトークショーの場にヘンダーソンが来て、トイレでヴェラに口でイカせてあげるだけでしょ? 自分は何もされてないの? あれって何もなかったのかしら? あれだけでおしまい?
シーンとしてその行為をし終わって2人で笑いあってるだけ。えっ?これでおしまい?、という感じがあったのだけれども。それで何があったの?という感じ。ヘンダーソンはヴェラを抱く事は出来ないけど、悦ばせたくてそういう事をしたんでしょう?
そういうのが自分の悦びに繋がったりしませんか? 自分がされるからっていうのが無くても。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
する事によって相手が悦んでで、自分も悦びを感じるという事でしょう? でも多分、ヴェラから何かされたらダメなのよね? ゲイだからというのが前提であるし、多分悦びにはならないのよね?
それがヴェラであっても?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
だってそれが成立するのであれば、その後のシーンでお返しをしてくれるとか、ほのめかしてくれると思うの。 私の中のテーマでは、あのふたりの関係が凄く重い。精神的に愛し合ってはいるけれど、肉体的に結ばれてないだけなのかしら? でもあそこまで関係を持ったら、肉体的にも、という感じになるでしょ? 一切セクシュアルな事をしないわけではないから。
その辺ちょっと分からないですね。ゲイの中でも、そういう事が出来る人っているのかな。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
したいとも思わないでしょ?
うん、少なくとも私は思わない。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
だからこそのゲイ。それを飛び越えてまでの愛の相手だった、という見方もしたの。
バイセクシュアルとは絶対に言わないじゃないですか。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうなの。バイじゃない!、と思ったけれど、違うのよね。
うん、違う。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ヴェラの事をずっと考えていてもしないんだもの。
超える何かがあるって事ですよね。精神的に繋がっていると。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
ヴェラも凄く好きなのだけれど、肉体的にというのは、諦めているから求めてもいないと思う。だからこそ子どもが欲しい訳なのだけれど。必ずしも強烈に愛するという事は、肉体的な結びつきは絶対なきゃいけない、と、いうものでもないんじゃない?っていうのが描かれていたのかしら。だとしたら、それを全部受け入れなくても良いから貴方を愛する、でも子どもが欲しい、というのを受け入れて貰えなかったらショックかしらね。
丸っきり別の事でしょう? 子どもを作りましょうという、生を生み出す行為を提案した数時間後に死を選んでる。しかも衝動的な死というよりも、冷静さのある死なのよね。でも、薬を見て飲んだって事は、衝動的ではあるのかしら。


なんでわざわざ9.11にしたと思いますか? というのも、一般的に沢山の人が死んだっていうのを目の当たりにすると、その死に近しい人は自殺を考えたりはするかもしれませんけど、遠くから見ている人間としては生きなきゃって思いがちじゃないですか? なのにヴェラが死を選んでしまったっていうのは、どういう事なんでしょう。9.11という時じゃなくても良かったとも考えられますよね。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
敢えて。
入れたんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
命の重みや死というものは、ひとりの人にとって最重要事項、最悪の悲劇というのは、人それぞれなんだって事なのだと思う。相対的評価では、悲劇や絶望は測れないという事。絶対評価。自分の中でしか無いから、例えば9.11みたいに飛行機が突っ込んで、死んじゃったりした時に、愛する人を失って絶望したり哀しんだりする事が世界の最重要事。でも、そんな事件が起こっているのだから自分の命を大切にしろという考え方は、私はナンセンスだと思う。レベルが違う話になるけど、食べ物があって残したいけど、世界には飢えている子がいるんだから食べなさいっていうのと似てる。昔から私はそれは関係ないし、おかしいと思ってたの。
それが当たり前だと思うなって事ですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そう。そうじゃないんだよ、という事。
私、『明日、君がいない』という映画で近い事を思いました。その映画では、この人傷ついてる、こんな酷い事があって落ち込んだりしているっていう人が沢山出てくる中で、何が理由だったんだろう、そんな理由でなの?っていう人物が自殺をしてしまう話なんです。自殺のきっかけっていうのは本当に些細な事なんですが、哀しみの比重みたいな物は人によってレベルが全然違うし、その背中を押されたタイミングも重なったりすると、死ってとても近しいものになってしまうんだなって、その時凄く感じたんです。今の話を聞いていると、それにとても近いかなって。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
うん、そうだと思う。9.11が起きているそんな時に、いわゆる些細な事で自殺なんてとんでもないっていう風に考えます?っていう事なのではないかしら。私は凄くあの気持ちが分かったし、9.11の時だからこそ際立つ。大きな事件が無い時に自殺をしたらそんなに非難されない自殺だけれども、ああいう最中での自殺や、自殺前に9.11のニュース番組を変えさせて踊っているのは非難される。でも、非難される事自体もおかしい。そういう人からみれば、この映画は受け入れられないですよね、と、最初にりきちゃんが言ってたけれど、全ての良識ある人々に対するちょっとした投げかけ、あるいは抵抗を私はあの映画全体に感じる。

路子
路子
最近、茨木のり子を路子サロンでやったりしたから、彼女の作品を集中して読んでいたの。茨木のり子が考える芸術作品とは?という部分に「浄化作用(カタルシス)を与えてくれるか、くれないか、そこが芸術か否かの分かれ目」と書いてあった。私はそれを自分と同じ意見だと思っているのだけれど、そういう意味で言えば、前回の『アメリ』も、今回の『愛のあしあと』もカタルシスが凄くある映画。自分が思っていたり考えているけれど中々言葉に出来なかったり表現できなかった事が、2時間の映画を通して全部描かれている感じで救いになったな。

路子
路子
マドレーヌとクレマンがセックスするって思ったの。それも有りかなって。

別に違和感無いですよね。そうなるかなって私もちょっと思ってました。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
雰囲気はあるのよね。よっぽどミスフィッツ達の集合体の中で生きていれば別だろうし、凄くミスフィッツを出していられる季節もあったりするんだけれど、その部分を抑えながら生活をしている時にこういう映画を観ると、さっきも同じ事を言ったけど軌道修正出来る。だってそっちの方が生きている感じがするし、違和感が無い。私が我慢する事を美徳と思っていないのはご存知でしょ?
(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
私、我慢とか忍耐ってあまり好きじゃないのよ。そこにどうしても意味を見出せない。何でそれをするのか、何でそこでその我慢をさせるのか、しなきゃいけないのか、ちゃんと理屈があってなるほどって納得が出来ればそれは我慢する。でも人々が我慢しなさいという事は、例えば誰かにごちそうになる時には嫌いなものが出ても我慢して食べなさいとか、団体行動をしている時は我慢して皆に合わせなさいとか。そういうのよくわからないの。そういうのがどうしても分からないままずっと生きてきて、今も分からない。でも、周りから強く言われれば怖いから従ってるってだけよ。本当にそれが必要だと思ってないもの。
だって嫌なんだもん。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
我慢する事で、自分にとってどんなに良い事があるのかっていうのが分からないの。いつもりきちゃんには言ってるけれど、タレントとかが浮気したとか婚外恋愛をしたって事でみんなが叩き始める事があるでしょ? でもそれって、自分は他の人とセックスしたいのを我慢してるのに、お前は何で我慢しなんだ、という理屈に尽きると思っているの。どうして私は我慢してるのに貴方はしないの?という部分で色々な問題が起こってる気がするから、じゃあ我慢しなければ良いのにと、いつも思う。自分が我慢してるからといって、我慢しなかった人を責めるのはおかしいと思う。

路子
路子
この作品にはそれが無い。みんな我慢していないの。私に言わせれば偽善者じゃないところが良い。全員が我慢しなかったら秩序が無くなると、前に誰かに言われたけれど、秩序が今あるんですか? 良い世の中でも無いし、あってこの状態だったらいらないんじゃないかしら?

マドレーヌの再婚相手は我慢してませんか?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
(笑)。
マドレーヌが元旦那と会ってそういう事をしているのも知ってるけど、マドレーヌを愛してるから離婚しない。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
違うのよ! 彼も我慢してないのよ。
そうなんですか??
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
本当に我慢しているなら、マドレーヌを手放すはず。それが我慢でしょ?
ああ、そうか…してないからこそ手放さない… 彼のワガママみたいな感じですかね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
変な見方かもしれないけれど(笑)。 自分の欲望を我慢してないでしょ?
たしかにそうですね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
だから全員我慢してないのよ。まあ我慢の度合いなんだろうけどね。この作品だって、登場人物がちょこちょこいろんな我慢はしてるけど、自分にとって一番重要な部分に背いてない、という感じかしら。

再婚相手のしてる事も、そのちょこちょこの我慢の一つなんですね。本当に些細な事。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
歌もフレンチポップスの軽やかな感じで良かったわね。

そうですね。好きでした!
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
サニエの声が可愛いし、サニエが唄ってる歌も可愛かった。
サニエの唄い方は本当に可愛いですよね。『8人の女たち』も可愛かった。最初と最後で同じ曲を使うじゃないですか? 歌詞の違いでの対比も凄く良かったし、年齢が違う設定だから唄い方も違う。サニエが唄ってる若い頃のマドレーヌはちょっと高めの声だけど、皆年代が進むと声が低くなってく。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ドスがきいてきたみたいなね。
そこがまた良いですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
またサニエのファンになったわ。
ラストシーンあたり、何でマドレーヌは靴を置いていったんだと思いますか?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
赤い靴よね。
あの靴は若い頃に盗んだ靴ですよね?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
多分そうだと思う。
前に住んでいた家に行く時に、その靴に履き替える。履き替えた後に住んでいた部屋に行って昔の事を思い出して、その後に靴を置いて立ち去る。その靴を盗んだからこそ始まった人生っていうのは冒頭で語られていますよね。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
何かを終わらせたのかしら。その後だったかしら? 今住んでいる家に帰ると旦那さんが外で待っているけれど、扉を閉めて一人で中に入ってくシーン。あれは拒絶かしら? そのシーンを観て、2人の関係が終わるのかなって思ったの。


全てを無くしたいからですか?
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
いったん白紙に戻すのかしら? 元旦那さんは死んじゃったけど、その場面の流れで元旦那さんとも今の旦那さんとも、関係が切れた感じがしたのよね。
今の旦那さんへの執着みたいなものはあまり無いですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そんなに愛していないはず。
元旦那の死と娘のヴェラの死を経験した事で、愛が終わってしまった感じを表現しているんですかね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
でも、娘が死んでから時が経ってるのよね。時が経って、娘の命日とかではなく、自分の誕生日という設定。それなのに、旦那さんに愛してると、言いたくない気分だったから、部屋に籠もってる。その後、一応誕生日パーティーの場で挨拶くらいはするけれど、その場からクレマンと立ち去ったり、靴を脱いだりするのよね。何かが終わる時が来たのかしら。元旦那さんが亡くなってから時が経ってるけど、元旦那の存在があったからこそ続けられていた結婚生活も、バランスを失って崩壊し始めていたんでしょうね。それで娘の死があり、かなりの衝撃を受けている状態で誕生日というひとつの節目を迎え、何かの終わりが全て見えたのかもしれないわね。
よく自殺をする時に。
りきマルソー
りきマルソー

路子
路子
靴を脱ぐ。
靴を脱ぐ。
りきマルソー
りきマルソー

って言いますよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
それを彷彿とさせるわね。私もそれはイメージしたの。

 

やっぱり俗世間との。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
さようなら的な意味があるのかしらね。今、飛び降りてる最中にパンプスが脱げちゃうからじゃない?って思ったけど、ブーツだったら脱げないなって思った。関係ないわね。
死を目の前にしてそんな事考えないと思いますよ(笑)。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
すみません、すみません(笑)。
やっぱり現世に対するご挨拶かしらね。
でも、そうするとマドレーヌはこの後自殺することになっちゃいますよね。まあ、そうとも限らないか…区切りの意味合いで?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ある意味での死。今迄の自分の生き方に死を与えるという。マドレーヌの性格からすると、そんなに引きずらなそうじゃない?
再出発の意味合いもあるかもしれませんね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
かもしれないわね。
過去との決別。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
例えば1か月後には、まるっきり新しい男の人がふたり居るかもしれない。彼女の場合はそういう感じね。
ジンクスみたいなものですよね。この靴で始まったから。そのジンクスを終わらせる為には、それを手放す。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
一種の死でしょうね。確かにね。凄く靴が印象的に使われているわよね。

そうですね。最初も最後も。
りきマルソー
りきマルソー


路子
路子
関係が切れない人達は、なんだかんだ言ってもやっぱり性の結びつきや欲望があるような気がする。だからこそ、それが無かったヴェラは死んでしまったのかしら。
路子
路子
大庭みな子という私の好きな作家が大庭利雄さん、という旦那さんとずっと添い遂げるのだけれど、自分は小説家でそんなに愛情深く無いから、他の人と浮気しても溺れないけど、貴方は愛情深くて本気になるから、私には自由を認めよ、貴方が浮気したら刺し殺す、という不平等条約を結ばせたらしいの。赤裸々には書いていないけれど、そのふたりは多分年を取って老人になっても性的な結びつきがあったと思う。大庭みな子は他の人達とも精神的な情愛関係を結んだり、若い時には身体の関係も持っていたはずなのよ。だけど、旦那さんともずっと一種の性の関係で結ばれていたんだと勝手に行間を読んでいるのだけれど。
それをこの映画を観ていて、マドレーヌと元旦那さんとの関係に感じたの。あんなにおじいちゃんとおばあちゃんになっても身体を求めあっているのよ? 今の旦那さんとはもうしてないと思うし。そこが一致しているふたりは、やっぱり重要なんだと思った。精神的なものも、とても大事だけれど、性の結びつきも、関係を維持していく、という意味では重要だと思った。

年数が経つと性の結びつきも無くなってくるってよく聞きますけど。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
それが一般的ね。
それが無いって事ですか?
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
もちろん頻繁ではなくなるし、前と同じ様な感じでは無いのだけれど。
でも深い繋がりが。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
何かしたい相手という事よ。例えば機能しなくなってもね。違う他の方法を探って、こちょこちょしたくなる。そういう欲望がある相手かどうか、という事。こちょこちょですらしたくなくなるという人達もいる。だからそれがとても重要な気がするの。初期の頃はそれがわからないのよね。そこが初期の段階で分かっていれば色々な判断が出来るのだけれど、初期の頃はみんな夢中だから分からないのよね。絶対に初期の頃はお互いに触りたいし。3年後を見極めるって難しいわよね。

難しい(笑)。
りきマルソー
りきマルソー


路子
路子
ルイ・ガレルはどの映画でもそうだけれど、とびきり暗いまなざしをするシーンが多いのよね。

最後なんて特にそうですよね。道端で座ってると、側に死んだはずのヴェラが立ってるシーンとか。ルイ・ガレルって決して凄いかっこいい訳では無いと思うんですよ。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうね、たしかに。
でもセクシーなんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
私もそう思う。今回凄い分かった。りきちゃんが好きな理由が分かったわ。
どんな女優や俳優が相手でも、ルイ・ガレルはやっぱり輝きを失わない。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
マリリンみたいだと思ったの。出てくるとそっちに目が行っちゃうの。それはマリリン的な輝きなのよ。サニエももちろん可愛いし綺麗だし、マストロヤンニも良いけど、ルイ・ガレルは異様な存在感がある。
ドヌーヴと一緒に歩いていても、存在が霞まないですもんね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
全然霞まない! あれ凄いわね。
今迄ジェーン・バーキンやイザベル・ユペールとも共演していますが、明るい存在感では無いし、ちょっと影のある存在感。だから目が離せない。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そうね、そうなのよね。
凄く好き。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
でも一番好きなのは『サン・ローラン』のギャスパー・ウリエルでしょ?
両方同じくらい好きかも。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
それって凄い良い映画を教えちゃったって事じゃない。わーいわーい。
(笑)。
監督のクリストフ・オノレって、何本か撮ってるんですけど、ほとんどルイ・ガレルが出演してるんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ん? それは理由があるのかしら?
何かのインタビューで見たのは、「ルイ自体が僕の映画のようで、僕の映画がルイのように感じる」って言っていて。だからこの監督にとってミューズ的な存在なんですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
ミューズなんだね。えっ? ルイ・ガレルってゲイなの?
ストレートだと思います。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
バイセクシュアルでもないの?
バイセクシュアルとも聞かない。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
そういう雰囲気があるような気はするけれど。
そういう役柄も多いですよね。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
監督は?
監督も分からないです。でも、割とゲイネタを映画に入れてくるんですよね、この監督。
日本で公開されていない『愛のうた、パリ』という作品も、確か登場人物がゲイだったような気がします。ルイ・ガレル、サニエ、キアラ・マストロヤンニ出演なんですよ。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
えっ! 観たいわ!
ロマン・デュリス、ルイ・ガレルが出演している『パリの中で』という作品も観たいです。
りきマルソー
りきマルソー
路子
路子
キアラ出演のは絶対に観てみたいわ。
『愛のうた、パリ』も確かミュージカルです。東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映されていました。ルイ・ガレル祭したいなぁ。
りきマルソー
りきマルソー

~今回の映画~
『愛のあしあと』 2011年8月 フランス
監督:クリストフ・オノレ
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/キアラ・マストロヤンニ/リュディヴィーヌ・サニエ/ルイ・ガレル

-ゆかいな仲間たち, よいこの映画時間