路子先生との時間

わたしが頑張る理由

2017/02/21

2016年もあと3時間でおしまい。今年は30歳をむかえ、その節目の年にふさわしい濃い1年だった。新年にかかげた目標は、「種まき」。とにかく新しいことに色々挑戦しよう、と決めた。

今年、新しくはじめたことは、たくさんある。
2月から料理教室に秋からは茶道、着付け教室へ通い始めたこと。
3月の30歳の記念にダーリンがつくってくれた着物を、12月には自分で着てはじめて茶事に参加できたことが、嬉しかった。
4月からワインスクールへ通い、ワイン国際資格WSET(Level3)を英語で受験したこと。
はじめた当初は「ぜったい無理」と思ったけど無事に合格し、もっと上を目指そうと目標ができた。

大きかったのは、春から作家の山口路子先生のお仕事のお手伝いをさせて頂いたこと。
前のブログを移設し、新しくHPをつくるのが最初のミッション。私にできるか不安だったけれど、試行錯誤のすえ夏には路子先生らしいすてきなHPが完成した。Wordpressのスキルがちょこっと上がって、おまけに自分のブログまで立ち上げて、表現の場ができたことは大きなプラス。路子先生のHPのことがなければ、ブログもつくっていないかもしれない。

路子先生の仕事は、好きでやっていることだから、あまり仕事という感じはしていない。逆に得るものが大きくて、感謝することばかり。先日、お友達が「彩さん、女子力がみるたびに上がっている」なんて言ってくれて、お世辞でも嬉しかったのだけれど、もし少しでもそうだとすれば、路子先生の美のシャワーを浴びているおかげだと思う。

路子先生に関連して夏はゴダールとシャネルに夢中だった。忘れがたい夏。古い映画もたくさんみた。12月は1920年代にどっぷりだった。

ワインの仕事では、大きなメディアに書く仕事が貰えたのも、嬉しかった。そして「わたしを変えたワイン物語」と題して路子先生のサロンでお話させていだいたのは、大切な思い出。

プライベートでは1月に結婚式をあげたこと。
シンガポールでのONE OK ROCKライブで「Wherever you are 」に涙したこと。
ペルー、台湾、スペイン、タイ、大阪、名古屋、伊勢、福岡、函館、福井……たくさん旅をしたこと。

昨年冬にはじめたヨガには週3ペースで通い、すっかりライフスタイルの一部になった。

こうしてみると、ちょっと、いやかなり「リア充」生活を送っている。
こんなに新しいことを一気にはじめたのには、理由がある。

ちょうど、昨年の11月のはじめ頃、私は、私のなかに宿った1人の命とお別れをした。

そのとき私は、専業主婦のような生活をしていた。
夏に入籍しシャンパンバーの仕事をやめた後、家にいる時間が増えた。
毎日、家事を終わらせると、好きなことをする。夜はダーリンのために食事を作り、好きなワインを飲む。規則正しく摩擦のない穏やかな生活。
それはそれで楽しい。本や映画で知的欲求は満たされる。なにより、表面的な付き合いだけだったら意味は無いと、積極的に人と会うことをやめたのは自分自身だった。
なのに、どうしてこう人寂しくなるんだろう。
気付けばダーリン以外の誰とも話していない日が続く。孤独だった。
自分が何も生みださず、消費しているだけと思うと、発狂しそうだった。
贅沢な悩みだと思う。 でも、「この生活をずっと続けていくのは無理だ」と思った。
何かをやりたい、必要とされたい……

妊娠がわかり、自分が自分のものだけではなくなったとき、必要とされている実感が込み上げた。

自分は何ものか?自分は何のために存在しているか?これまで悶々としていたこと。そんな自己中心的な自意識が、急にちっぽけなものに感じられた。

その子と一緒にいた数週間は、新鮮で、私に全く違う世界をみせてくれた。

まず、ワインが飲めなくなる。
これはワインを生き甲斐にしている私にとっては、天地を揺るがすくらい大きなこと。
ワインを飲まなくなると、食生活もがらりと変わる。
それまでの洋食中心の食事は、一気に和食一辺倒に。そうすると朝もスッキリ目覚めるようになり、半身浴の効果もあってか体重も減った。

気持の面でも変化が大きかった。
独身時代はフラフラ海外に放浪に行ったり、無謀なことをして、散々好き勝手もしてきた。のたれ死んでも仕方ないや、なんて投げやりな気持が心の奥底にあった。
「ああ、これで簡単に死ねなくなる」結婚した時にもそう思ったけど、妊娠したときは、だめ押しされた気分だった。
自分の存在に、新たに責任が加わった瞬間。それは、今までふわふわしていた自分の存在がやっと地に足をつけて、現実世界に調和していくような不思議な感覚だった。

そして私は、子どもの存在でできることが圧倒的に制限されることを知った。
「自分のための時間」を捨てる覚悟をした。
予定していた旅行もキャンセルした。
でも、そんなこともどうでもよかった。

そのとき私は同時に、自分から逃げていたのだとも思う。
妊娠したとき、心の中でほっとしたのもまた事実なのだ。
今まで途中で投げ出してきたこと、もっと頑張らないといけない自分に対する言い訳。
だって、私は妊娠したから、ワインも飲めないし、今は仕事もできないもの。
このまま、子育てに専念して、居心地の良い家庭を築いて……このタイミングで子どもが出来たことは、神様がそうしろっていってるのかも、なんて都合のいい解釈すらした。

だから、その子が去って、散々泣いた後に、
「あの子が居なくなったのは、『自分には、もっと頑張るべきことがある』という啓示なのかもしれない。
『子どもがいなかったら、やりたい』そう思ったことを徹底的にやろう」と思った。

自由に選択できるのに、漫然と生きているなんて、もったいなさすぎる。
自分の環境に感謝して、それを最大限に生かす努力をしないといけない。
少しだけの間、私の子どもだった子が、それを気付かせてくれた。

だから、あの子が私にまた戻って来るときまで、私は精一杯、自分のことを頑張ることに決めたのだ。

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