◆どうすればよいのかいまはわからないけれど
これは、私と親しくしてくださっている方には、よくわかることなのだけれども、いちおう、固有名詞はふせておく。
でも、いまの気持ちを書かないことには、次に進めない。っていうか、現時点では、絶対進めない、くらいの落ちこみよう。もう、なんにも書けない、書きたくない。なにもしたくない。力がぬけて、そう、すっかり力がぬけてすっかり脱力しているのに、涙だけは出てくる。
3日前、21日の金曜日に担当編集者さんから電話があった。とても言いにくそうに、彼は、私にそのことを伝えた。
つまり、私が長年かけて書き上げた原稿が出版されなくなった。
そういう報告だった。
念のため、そのことが決まった会議の場にいた人は私の担当編集者さん以外、誰も私の原稿を読んではいない。
その原稿、先週に一応の完成を、ようやく、みて、彼に渡して、私はちょっとした達成感のなかで幸せだった。
そして、その原稿の企画は2年くらい前に通っていて、でも、出版社側の体制変更とかで、もう一度会議にかけなくてはならないけれど、編集者さんの働きで、いろいろ可能な雰囲気で10月ころ出版できたらいいですね、くらいなかんじだった。
ただ、確約ではなかった。
そもそも、この世界、少なくとも私は20年以上、物書きをしているけれど、出版前契約ってしたことがない。ほかのひとはどうなのか知らないけれど、契約って、本が書店に並ぶときくらいに交わされる。
つまり、出版しましょうね、と決めて、たとえば一年をかけてその原稿にかかりっきりで書いたとする。それでも、「あ。やっぱり出さない」と言われれば、えーん、と泣いて終わり。
って、「そんなことない」って誰かから言われるかな。でも、私の場合はそう。いままでにも「軽井沢ハウス物語」と「軽井沢夫人パート2」があったかな。
でも、いまはそのころよりずいぶん本も出して、一応それなりのキャリア積んできたようなつもりでいたし、今回のは、文字通り、久々に、なんというか、書くのに、そうとう苦しい想いをして、体重まで5キロも減らして、ばかみたいに徹夜までして、没頭していたから、ショックは大きい、みたい。
今年の収入見込みにも入っていたし、ほかの原稿、あとまわしにしてかかりっきりなっていたし。
これからそれらを取り戻すために、ほんとうに、がんばらないと。生活がある。
金曜の夜に編集者さんから電話があったでしょ。それから私は3人の人たちに、そのことをメールで伝えた。それぞれに、慰めの言葉をくれた。でも、これはやはり自分自身の問題だから、恋愛問題は、ふたりの問題だけど、これだけは別なんだ、ってそのことも実感した。
翌日は、実家の用事があって伊勢崎に行くことになっていた。電車のなかで娘に伝えた。彼女は、それは相当なショックだろうね、でもきっと、それだけ嫌なことがあったんだから、きっと同じくらいのいいことがあるよ、と言った。父親とそっくりのことを言う、って涙が出そうになった。
そしてその翌日、昨日の日曜日は路子サロンだった。演出家の大河内直子さんがゼルダ・フィッツジェラルドの話をしてくださった。私はスコット・フィッツジェラルドとそしてゼルダ、ふたりの物書きだって、思うように出版できなかったのだから、とずうずうしくも二人と同列に自分を並べて自分を慰めていた。
けれど、みなさんがお帰りになったあとの空虚感は、半端ではなかった。どんなにおちこんでも路子サロンが終わるまではしっかりしないといけない、と気を張っていたからかな。
もちろん諦めてはいない、たぶん。
いま、力は入らないけれども、これから、私の作品を好きになってくれる編集者さんを探さないと。
そして、私は、この原稿をともに出そうとしてくれた編集者さんのことを恨んだり責めたりしていない。彼も私と同じ立場。もしかしたら彼のほうが苦しい想いをしているかもしれない。誰のせいでもない。きっと、その道をゆくべきではない、ということなのだろう。
とにかくいまはどうか、あの暗闇におちませんように。祈るようにして、今日という日を過ごす。
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*絵はフリーダ・カーロの絶筆「VIVA LA VIDA(生命万歳)」