▽映画 ◆私のアナイス アナイス・ニンという生き方 ブログ「言葉美術館」
◆アナイス、知性と女性性が融合したときの不滅性
来週「アナイス・ニン研究会」に参加することになっていて、アナイスにふれたくて、本を読んだり、過去の記事を読んだりしていたら、こんなものを見つけた。
2017年8月11日にラジオでアナイスについておしゃべりをしているのだけれど、その準備としてブログ記事を兼ねて書いていたものが下書きに保存してあった。
だから以下のものは2017年8月11日に書いたもの。
*****
現在13時47分。
今日は、私の仕事場でラジオ番組の収録がある。DVD「アナイス・ニン 自己を語る」についてのインタビュー。
こういうことを言うと、みんなに意外だと言われるけど、私は自分の作品について、語るのが苦手だ。はっきりいって嬉しいことではない。でも、そんなことは言っていられないから、たいていは引き受ける。
嬉しいか嬉しくないかなんて関係ない。これはすべきことだからだ。私の好きな、そして多くの人に知ってほしいアナイスのことを、より多くの人にしってもらえるチャンス、そうあることではない。
プロデューサーであり、DVDを制作販売してくださったオンリー・ハーツの奥田真平さんから。あらかじめ、質問状が届いていた。ずいぶん前にいただいていたのに、私はそれと取り組むことができないでいた。本の締め切り、そしてようやく書き上げたその本の出版中止という事件、それ以外にも仕事場の2階のスペースの室内装飾という仕事もあった。もう、忙しさでどうにかなりそうだ。
それでも、やはり、短い時間のなかで、私なりのアナイスを伝えなければならない。
昨夜から今朝にかけてDVDを3回観た。もう何度目かわからない。そして、いつものように、「今現在の私」にあまりにも響いた言葉があって、それをメモした。
まずはそれを書き残しておこう。
◆女性が独りで創作する光景は美しくない。
女性は母、愛人、妻、姉妹として生まれる。融合、交わり、共感を象徴しているの。
狂気でなく命をうむための存在よ。
◆芸術家とは人間の感情を表現することに成功した人。
芸術を推し進め、犠牲を払い、葛藤しながらも、やり通す者よ。
私が惹かれるのは、自由を求めるのではなく自由をつかみにいく女性なの。
◆怒りには2種類ある。
有害な怒りと創造的な怒りよ。後者はピューリタニズムや閉塞的な状況に対する対する女性たちの反抗よ。
怒りには強制的な力があり賢く扱わなければダメなの。
50年代、私は作品が黙殺され怒りを抱いたけど、それは無駄だった。
私には何も変えようがなかったからよ。時代にそぐわず反応が得られなかった。その時の怒りはまったく無益だったわ。
怒りに毒されて憤慨していただけなの。種類が違う。
ここにアナイスがいるし、やはりいつでもアナイスは私に必要な言葉をくれる、と朝から涙する。
さて、今日の質問にはどんな言葉で私のアナイスを語ろうか。
(1)アナイス・ニンはどんな人か。
1903年フランス生まれ。作家であり、その時代の芸術家たちのミューズであり、ミューズであるだけでなく、彼らを経済的にも精神的にも支援したひと。
そして、20世紀最大の日記文学の作者である。11歳のときから74歳で亡くなるまで日記を書き続けた人。事実だけではなく、そのときそのときの内面の感情を、あるときは冷徹に、あるときは情熱的に書き綴った人。
11歳のときに両親が離婚し、アメリカに移住。愛する父が家を出てしまったことが彼女の人生の最大の事件。これをきっかけに日記をつけ始める。20歳で銀行家のヒューゴーと結婚、夫の転勤でフランスに住む。
夫ヒューゴーとの愛情関係を維持しつつも、ほかの男性たちとの愛情関係も持つ。
27歳で独学でロレンスを研究、エッセイを書く。
28歳でアメリカの作家ヘンリー・ミラー(41)と妻ジューン(30)とに出逢ったことで、人生が動き出す。奔放な性愛を体験。
ヘンリーや精神分析医のルネ・アランディ、オットー・ランク、詩人のアントナン・アルトー、革命家のゴンザロ……。
こういったことに対してアナイスは罪悪感をもたない。
自己の存在価値は、愛する男たちを自分の存在によって輝かせることであり、「自己探求」という人生のテーマの核心をなすものである、と信じていたからだ。
44歳のとき、28歳のルーパート・ポール(16歳年下)と出逢い、ロサンジェルスに彼と住む。夫のいるニューヨークとロスとの二重生活が始まる。
ふたりの男たちはそのことを知っていた。
けれど、ふたりにとってアナイスはどうしても手放したくはない存在だったから、アナイスが癌で死ぬまで二重生活は継続した。
最期はルーパート・ポールが献身的に介護し、看取った。DVDのインタビューの場所になっているシルバーレイクの家がアナイス終焉の地となった。
……ぜんぜん語りきれていない。
(2)「ヘンリー&ジューン」はどんな映画か?
20代の後半にフランスで出逢った、ヘンリー・ミラーと妻ジューンとアナイス、三人の関係を描いた映画。
関係者が全員死んだら出版するというアナイスの遺言によって出版された同タイトルの日記(31年から32年、つまり、アナイスが28歳から31歳までの日記)が原作。
アナイスがもっとも性愛に対して興味を抱き、没頭してゆく時代の話で、とても官能的な映画。
映像もとても美しい。俳優たちも、私はほとんど全員が好きだ。アナイス役のマリア・デ・メディロスはひどく魅力的だし、ジューン役のユマ・サーマンの迫力もすごい。
アナイスはヘンリーを精神的にも肉体的にも愛し、ジューンのことも精神的にも肉体的にも愛する。
この映画のなかで最も好きなシーンは、ヘンリー・ミラーとのはじめての情事を経験したあとで、同じ夜に夫に抱かれてとても興奮したアナイスが、日記を書くというシーン。
夫ヒューゴーが眠った隣で、彼女はノートに綴る。
「二人の男の腕に抱かれる私は魔性の女か。夫は書いている横で眠っている。夫を愛している。汚れのない気分だ。」
ここ。
アイ、フィール、イノセンス。
自分自身の真実に忠実に生きているからこその、言葉。
アナイスはこう考える。
自分に入ってくる愛が多ければ多いほど、あなたに与えられる愛も多くなる。
常識的に考えれば悪女かもしれないけれど、常識的なほかの人たちと同じようにしていたら、自分なりの真実に背を向けて生きていたら私はつまらない女になるし、真の意味で生きられない。
私は常識的な規範の中では生きられないのだ。
私は私なりの真実のなかで生きる。
そして私のやり方であなたを愛する。
(3)アナイスの魅力とは?
まずは映画のなかでふれたような自らの真実に忠実に生きたということ。
常識、モラルなんて、自分以外のひとたちが、彼らが生きやすいように作られたものなのだから、そんなのには従わない、という姿勢。
つねに女性的であったということ。
「男たちのための女」であったということ。自分自身の創作をすることとそのことは矛盾しなかった。
つねにほかの人たちの関りのなかで「変容」し続けたこと。
年齢を重ねるほどに柔軟になっていったところ。70歳を過ぎてなお、充分に男たちの欲望の対象になるような、なまめかしい美しさをもったということ。
そして、なにより、自身の芸術を最後まであきらめなかったこと。
20代のころから作家を志すが独自の作風はなかなか認められず本が出ない。30代のはじめに印刷機を購入、どの出版社も出してくれないなら自分で出す。それでもなかなか認められずに、作家として認められたのは、63歳のとき、「日記」の出版だった。最期の10年がバラ色の10年だった。
……ぜんぜん、ぜーんぜん、語りきれない。
(4)「アナイス・自己を語る」はどんなドキュメンタリーか。
1974年、アナイス71歳のときの、アナイスが自身の人生、芸術について語ったもの。彼女の口から出てくる言葉はもちろん、シルバーレイクの涼やかな家、美しい衣装、アナイスの声、しぐさ、すべてにうっとり。真に美しく知性ある女性を知りたかったら、これを見なければいけない。
(5)特典について。
すばらしすぎて、ひれふしたくなります。アナイスをはじめて日本に紹介した中田耕治先生、アナイスを日本に広めた杉崎和子先生。
それはここに書いた。
◆生きることへの渇望(アナイスについて中田耕治先生への手紙)
◆アナイスは凄い、アナイスは凄い(杉崎和子先生への手紙 2016年7月11日)
(6)山口さんとアナイスとのかかわり
「私はアナイス、アナイスは私」から抜け出せないでいる。いまだに。
(7)アナイスを今知る意義
私には「なぜ今」かわからない。いつだって知る意義があるから。
ただ、いま、一番強調したいのは、アナイスの「知性と女性性が融合したときの不滅性」かな。
(8)山口さん自身の仕事、とくに映画とのかかわり
私の仕事。アナイスと同じで小説が認められない。
映画は私にとって「真剣な悦び」。
いくつもの人生を生きたくて、そして自分だけの人生をよりドラマティックに意義あるものとして、自分自身の真実に忠実でありたくて、映画を観る。
出逢いをもとめて映画を観る。出逢いはわりと多い。
すぐに今思い浮かぶのが「ピアノ・レッスン」、「めぐりあう時間たち」、「ハンナ・アーレント」、さいきんでは「ラスト・タンゴ」。
ある時期は毎日一本観ていた。最近は月に10本から15本くらいかな。忘れちゃうのも多い。
(9)山口さんの好きなアナイスの言葉
えー。書ききれない。DVDのパンフのなかにも出てくるけれど、引用場面が多いのはこれかな。
「肉と肉とが触れあうところで香水は香り立ち、言葉の摩擦は苦しみと分裂を引き起こす。
知性には干渉されず、殺されず、枯らされず、壊されず、かたちを創ること、感覚が持つ、たおやかな荘厳さを知ること。
それが、生きて、私が学んだこと。
その香り立つものを尊重することこそ私の芸術創作の掟だ。」